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ただそれだけだけど……

 今年は、展覧会をきっかけにちょっとした旅に出ている。新潟県の越後妻有、ベルリン、直島、大阪、山形などなど。私はおたくではないが、電車好き、乗り物好き。窓側の席や景色の見える場所にただ乗っているだけで楽しい。
 東京から少しでも出てみると、日本は決して均質ではないなとわかる。先日は、大竹伸朗展の原稿を書くために、子ども時代を過ごしたという東京都大田区の六郷周辺を歩いてみたけれど、都内でも町の動きや匂いは違うものだ。国道沿いは大型店舗の進出で似ているなあと思うけれど、路地や雑木林など「雑」を形成するなかの人の手入れに違いが出ているように見える。


 現在開催中の「第3回府中ビエンナーレ」
http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/
のなかに、小林耕平の映像作品がある。初期の即物的な映像(それが気持ちいい場合もあるのだが)のときはあまり引っかかってこなかったのだが、近年、雑木林での妙な実験、それに伴う映像のぬめりや執拗さのようなものが出てきて一気に興味を持った。今回は、砂丘が加わった。

《2-5-1》より

今回は「待つ」ことをサブテーマとして、撮影に時間をかけている間に起きてくることを拾い集めて、抽出している。砂浜でどこかから飛んできた布が棒きれにバサッと掛かったり、砂を詰めた麻袋が倒れたり。雨に濡れたアスファルトは「雨上がりのときに撮影する予定で待ち構えていたらバッと雨が上がって、急いで林道までカメラをかついでいった」という。それらは偶然の出来事なのだが、どこか何かに意志が関わる、あるいはどこかから小石が投げられるように対象からレスポンスがあるように見える。

《2-5-1》より


「待つ」というと受動的に思われるが、起こった瞬間にキャッチするアンテナと瞬発力が必要だ。意識して待っていると「だんだん起こってくる」ようになる。でも少しでも作為の心があると逃げてしまう。神様がいるみたいだ。

《2-5-1》より


太陽光をガラスの破片に取り込むことに夢中で撮影し終えたら蟻の動きが映っていたという映像がある。私は、蟻を見ていたら、太陽と風の動きで落ちていたガラスが光ったのかと思っていた。ただそこにあるものが撮られていても、見る人がいつも認識している習慣やその順番で、幾様にも見え方や物語のようなものが広がる。

《1-11-1》


横浜美術館で開催中の「アイドル!」
http://www.yaf.or.jp/yma/
では、西野正将の映像作品が拾いものだった。一見何を撮っているのか怪訝かもしれないが、見ていると笑ってしまう。ドライブしていて急に赤鬼の像が窓の向こうに現れたり、木を割っている股の間に人が見えたり。小林はエフェクトなしだが、西野はワイドショーで見慣れたクローズアップやスローモーション、巻き戻し再生などのエフェクトを逆手に取り、なんでもない対象に大げさにかぶせ、メディアが誘発するものを露にしたりもしている。

《Red Demon》

ただ撮っているものとシチュエーションを設定するものの境目をいろいろ変えている。なかでも、川沿いの欄干を鉄琴のように鳴らして歩く映像作品は、感情を弾いて来るような感じもあって良かった。誰でも幼い頃にやったことのある懐かしさもあるけれど、なりゆきの音楽なのがいいんだな。途中、看板にぶつかってかすかに戸惑うのがニクい。

《Walking River Side》

12月2日までユカササハラギャラリー
http://www.yukasasaharagallery.com/
でも個展を開催中で、こちらの新作映像にも共感した。普段の何気ない生活や、人と話しながら脇見で見つけるような偶然。相手に言えば「どこが面白いの」と一蹴されそうで言えなかったりするのだが。

《Friend》 糸くずのダンス


ペインティングもあり、ファイルを見るとプロジェクトも多数行っている。映像も含めて、つくらずに流れに任せることとつくることのさじ加減をいろいろ試しているように思われた。

《Chop Wood ver.2》

ふたりの作家に共通するのは地方の豊かさだ。小林は東京の郊外、清瀬市で育ち、現在は埼玉県比企郡在住、西野は大分。友達が人間だけじゃないし、遊びのキャパシティが身体に染み込んでいる気がする。

既存の意味をすべて剥がした「ただそれだけ」の映像は、ただそれだけの退屈なものごとの周辺に起こる空気の流動を映すようになり、それが人の心に世界の愉快さや楽しさ、不思議さといったものを伝えるようになってきているように思う。
 見ているようで見ていない、見ようとしなければ見えて来ないことは本当にたくさんある。ためしに、家族や職場で、駅から家までの道のりにあるものを絵に描いてみたら見ているものの違いがわかるのではないだろうか。ほんとは小学校の写生の時間にも気づけることだったりする。
 世の中に手の込んだ映像があふれるより、もっと人間の側の「認識」を意識して深めるほうが世界は豊かになる。


東京からだと遠出の展覧会を3本。
NAOSHIMA STANDARD 2(香川県直島)
http://www.naoshima-is.co.jp/first.html
直島では、波とともに心洗われる。そこにアートが甘えたり、媚びてないところがいい。


西雅秋―彫刻風土(山形・東北芸術工科大学)
http://www.tuad.ac.jp/galleryevents/headline/newpage_1159755668/
朝日町という村では、クレーン車で、20メートルの高さから5トンの鉄の塊を落下。突き刺さった地面はもとより、滞空時間に、時間が遅巻きになったような不思議な感触を見た。


半田真規展(大阪・児玉画廊)
http://www.kodamagallery.com/start/index.html
国立国際美術館の「エッセンシャル・ペインティング」も見逃せないけど、こちらもぜひ。この作家も待つタイプ。「雑然」と「手入れ」の間に……。



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