|
年忘れ? ああ、入稿を忘れたい
注意一秒、崖っぷち一生。原稿入稿の荒波を犬かきで泳ぐ年の瀬。今年の現代美術大賞(勝手に)は、大竹伸朗展(東京都現代美術館) http://shinroohtake.jp/index.html でしょう。010で「鼻血が出るアートに君は出会っているか」と書いたが、知人がこの展覧会で本当に鼻血を出していた。重量級のカタログはできたのかな。「毎日と絵」にならって「毎日と文」。足下に及ばずとも頑張ります!
「全景」展より 右《北の空に浮かぶカタチ》左《女神の自由》 マンガ大賞は、福本伸行『最強伝説 黒沢』に。私、主人公の黒沢さんと同じ誕生日、名前も似ている。44歳の誕生日を迎えたヒューイ・ルイス+阿藤海のような黒沢さんは、穴平建設の土木作業員。サッカーW杯を放映するテレビの前で仲間と盛り上がりながら「あれは他人の祭だ。求めていたのは、オレのオレによるオレだけの感動だっ」と気づく。それから一念発起し、アジフライを皆の弁当に仕込んで気味悪がられるなど思惑とズレながらも、ある事態に巻き込まれて捨身で闘う男になっていく。今年11巻で完結。ラストは迷ったのかな。
最近、こうした血潮を感じた若手作家は後藤友香だ。オン・サンデーズで開かれていた「日米ヘタうま&アンダーグラウンドサミット」で出品していて、800円のカラーコピー、ホッチキス留めの手製本を買った。アックスでは「正義隊」というマンガを描いている。雑に描いているようだけど、絵が描ける人だなと思ったら油絵科を出ていた。少し大竹伸朗に似ているような部分もあるが、線を継ぎ足したり、かすれてブレたり、水彩絵具で塗った部分とペンが水分で侵犯し合っていたり、目新しい方法ではないが、後藤節のようなものがある。本人は「情感のようなものを大切にしている」と言っていた。来年2月にビリケンギャラリーで個展の予定。
後藤友香画集より 手製本といえば、パラパラマンガを思い出す。いまではパソコンで誰もがそれなりにアニメーションをつくれてしまう。1906年、ジェームス・スチュアート・ブラックトンが黒板上のチョーク画や切り紙を手廻しカメラでコマ撮りしてつくった《愉快な百面相》から100年。人ひとりの約一生分ほどの時間にそれだけテクノロジーが革新されると思うと100年は早いような気もする。 古川タクの呼びかけで70歳代〜20歳代の16組のアーティストが参加したオムニバス・アニメーション映画《TOKYO LOOP》が12月23日からイメージフォーラムで公開されている。 http://www.imageforum.co.jp/tokyoloop/ 古川タクは、京王線橋本駅のホームでの喫煙スペースに場面を絞り、簡素な手描きの線で綴ったような作品。60年代から制作している久里洋二は、犬が散歩で糞をするというたったひとつの設定のバリエーション。最近のアニメーションの複雑化に対して「これでいいんだ」と言ってるようだ。 田名網敬一は、雨の動きや顔面から人が出て来るような展開を、ゆらゆら、ぷよぷよ動く線で表現している。騒々しい東京の上空を雲に乗って飛ぶ孫悟空の気分で描いたという。屈託なく、わさわさとエロティック。
田名網敬一《トーキョー・トリップ》 大山慶や清家美佳はテクスチャーを大事にしていて不思議な雰囲気を持つが、アニメーションを「ストーリー」で捉えるか「動き」で捉えるかで、意見が分かれるところかもしれない。一方、和田淳の作品では、声を出すという行為を、組体操などの別のイメージに置き換えているが、想像の余白をかなり残している。毒もあるが飄々としていてトボケている。
和田淳《声が出てきた人》 束芋は公衆便所を絵巻のように使い、前髪を何度も直したり、水を何度も流したり、行きつ戻りつのような動きに執着して見せている。カップに残ったコーヒーが気持ち悪く見えるような、周到な責めはもうひとつの芸域かも。
束芋《公衆便女》 しりあがり寿は、1本の線を引き、線上で何かを起こす絵本のつくりかたと同じだが、ヘンな動きはアニメ―ションならでは。犬男が腕を回しながら歩き出し、蹴散らしたり、くぐり抜けたり。
しりあがり寿《イヌトホネ》 映画館を出たら、全編にわたる山本精一の音楽がループしそうだ。でもDVDが出たら、音声ナシでも見てみると動きがぐいっと刻まれているかどうかわかると思う。 年内ギリギリまでやってます。 WATARI Umovie 1990-2006 http://www.watarium.co.jp/ イベントBest30の映像を公開。ダライ・ラマ14世とか。 みなさまどうぞ健康でよいお年をお迎えください。また来年! |







