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さとう陽子展「とても な」


ひそかに張り合いにしていたコラム「池田シゲルの妙論」がいつのまにか跡形もなく消され、意気消沈していたら、もう夏のような春になっていた。などと人のせいや何かのせいにするのは潔くない。この前も美術館の学芸員の方に「私もピクシーズが好きで見に行ったんですよ。若い作家への言葉もよくわかります」などと声をかけられ、ありがたかった。これまでは2つか3つの展覧会や映画などをつなげていたのだが、やはり出足が遅くなるので、これからはひとつのものでいこうと思う。

さとう陽子という作家は、絵画、身体表現、言葉による表現、写真など、それぞれに適した表現を行っている。1986年から発表を始め、ストイックともいえる簡潔な抽象画に定評があったのにもかかわらず、2005年辺りから、洗練されたスタイルからの退行とみなされる危険もありながら、子どもが花や魚を描くような形象と記号の間のようなかたちや、生々しい絵の具の盛り重ねといった描き方に舵を取った。今回のDMにもなっていた花の絵は、長いこと愛着のある服のようにかわいらしい。



「とても な」より


入り口から、花を描いたピンクの大きな絵が見える。ウォーホルの版画のかすれにも似た花のダンスのようなストローク。花びらを敷き詰めて一部を踏みしだいたような“土手”とのギャップがユニークだ。異質だけど、動きのなかで混ざっていくようなリズムがあるように私は感じる。とても楽しくもあり、ざわざわしていてどこか怖くもある。








「とても な」(英文タイトルはVery,or not very)とは、過剰でありながらただ過剰であるわけではないという、この作家がつくった言葉だ。絵画が、異質なものや混沌としたものを、何かあらたな結びつきをもって働き合わせることができる空間であり物質であるとすれば、「余計なものを排除し、純度を突き詰めて行くだけでは絵がほそってしまい、絵画が本来もつ豊かさが発揮されない」と作家は言う。








一見プリミティブに見えるが、思いのままに描いたというわけではなく、建築的に組み上げていこうとして描かれている。建物を建てるには規格外では問題があるが、絵画には、はみだしてしまうものや足りないものや相性のよくないものも生かし合えるような建て方が見つけられるということだと思う。しかもご飯を食べることと同様に毎日自然に絵を描いているので、今日は魚を食べようと思うのと同じように、今日はこんな絵を描くということがわかって描いているのだそうだ。だからたくさん絵はできるわけだが、整理してキャンバスははがして再利用するというし、あまりものに執着がないようにも見える。




「とてもな」の語感が私にはふっと軽く感じられる。互いの領域に干渉しているのに押し付けがましくはない。寄り集まってもどこか流れがよく、普通に考えれば体重は重くなるが浮遊する感じ。色もまたノイズであるかもしれないが、そこに動きがあるから楽しめる。と同時に、絵の具の盛り重なった部分を見ていると、世の中が流れすぎないよう塞き止めようとしているような根っこの座った感じを受ける。そこに生活者としての怒りや踏ん張りを重ねるのは、自分がいまの東京に違和感を感じ、アートもまた格差社会の構造に乗っている部分があることへのジレンマからだろうか。




さとう陽子展「とてもな」
2007年5月7日(月)〜19日(土)
ギャラリー檜
http://www.g-hinoki.com/#new

写真展も同時開催。
2007年5月14日(月)〜19日(土)
ギャラリーQ
http://www.mercury.sannet.ne.jp/galleryq/now_exibition.html




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