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池田晶紀が撮る子どもたち かつて、国立でドラックアウトスタジオというアーティスト集団によるアートスペースを運営し、現在は雑誌やCDジャケットなどの写真も手がける若手写真家、池田晶紀(まさのり)。現在、東京都写真美術館 http://www.syabi.com/ で開催中の展覧会「私のいる場所―新進作家展 vol.4 ゼロ年代の写真論」にも参加している。展覧会は、「私性(プライベイト)」をテーマに7カ国15組の写真表現を集めたもので、池田は子どもを被写体にした写真を発表している。 ![]() どこにでもいるような子どもたち。しかし、子どもを取り巻く背景や道具立てには虚構が入り混じる。その遊びの世界で子どもたちは波に乗り、予想を超えた輝きを見せるのだろう。大人は初対面の相手に対し、観察しながらも言葉で判断していくが、子どもは言葉で判断しない。特に、社会的認識が生まれてくる10歳より前の幼い子どもは、理屈では動かない。 ![]() 大人が押し付けるイメージでも、写実的リアリズムでもない。作為的にもなりかねない危うさを秘めながら、不条理とも素直ともいえる触れ合いから生まれる写真。思春期の少年少女を撮ったらどうなるだろうかと、いま展覧会中のヘレン・ファン・ミーネ http://www.tokyo-ws.org/shibuya.html を見ながら思った。 ![]() 言葉が通じない映画『ククーシュカ』 それでは、言葉の通じない大人同士では触れ合えないだろうか。アレクサンドル・ロゴシュキン監督のロシア映画『ククーシュカ−ラップランドの妖精』http://kukushka.jp/ の主人公3人は、それぞれ異なる言語を交わしている。第二次世界大戦末期、敵国同士の、ロシア軍の大尉イワンとフィンランド軍の若き狙撃兵ヴィッコ、彼らを助けるフィンランド最北の地ラップランドに住むサーミ人の未亡人アンニ。お互いに推測で会話し、ズレながらも一緒に暮らす、寓話のような物語だ。アンニが夜のお相手を選ぶ場面も率直さがチャーミングで、男同士のさや当ても可笑しい。 ![]() ヴィッコは戦いよりトルストイが好きで、イワンも戦争に疲れている。しかし、言葉が通じないために戦争が終わったことも知らないイワンは、ヴィッコを好戦的な若者だと思い込み、ある日大きな過ちを犯す。そして、その窮地を救うのもやはり言葉ではないのだ。 ![]() 冷たい川の水のなかを歩くとき、一日身体を動かして働くとき、腑に落ちることがある。言葉も豊かな世界を持つが、(概念や制度としての)言葉だけに依存するのは危うい。例えば、音、匂い、肌の感覚が、人間同士の間合いとなることもあるだろう。戦争に対する、静かで痛烈な皮肉でもある。 ![]() 音楽映画『STEP ACROSS THE BORDER』の夜 ユーロスペースのレイトショー「MEET THE MUSIC 音楽シネマの夜」http://www.p3.org/stepacrosstheborder/index.html で、シネ・ノマドが、実験的なギター奏者フレッド・フリスを撮った『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』(1990)を見た。 ![]() 世界中を演奏して歩くフリスの姿だけでなく、車窓を通り過ぎる景色や光、風に揺れる草原、煙、坂道を上がる彼らと交差するクルマや信号、ふわりと浮かぶビニール袋など、フリスの音楽の本質を映像で伝え、映像で音楽を表している。ドキュメンタリーであり、コラボレーションでもある。 ![]() 激寒だった今年の冬、踏切あるいは電車を待つ間、時々小さく足踏みする人を見て楽しんだ。映画のなかの老夫婦が刻む、寒いときのリズムは大胆でユーモラスだ。映画を見ながら、向こう側の人の指もこっそり動いていた。 ![]() 日替わりで、茂木綾子が即興演奏ユニット「THIS」を撮った『風にきく』(2002)を上映中だ。日中に上映中の『TOUCH THE SOUND』http://www.touchthesound.jp/ もオススメだ。フレッド・フリスも登場する。 |









