世界は語らない。ただ私たちが語るだけだ。 R. ローティ 1.グローバリズムの実践 アートの世界において、グローバリズムという単語はもうそろそろ死語になりつつある。用いているのは観客動員を憂慮する地方ビエンナーレのコミッショナーや、ここを先途とキャリア・アップを企てる非欧米出身のキュレーター、耳に心地よいが定義を欠いたエッセイにアクセントを求めている批評家たちであったから、アートのグローバリズムとはいうまでもなく、アートの中でしか意義を持たない語であった。「新しい価値観どうしとの出会い」とは、欧米の言論と水準に吸い取られて事後的に述べられた説明であって、すなわち出会われるほう(「中国の可能性」、「イスラム女性の哀しみ」、「アパルトヘイトの傷跡」、「アーティストのノマディックな活動」etc.)は、出会うほう(欧米の視覚言語のスタイルと、制度空間)によって規定され、その後そのパッケージングされた内実は「語られている」。すでにこの制度を通して見せられているからには、文化的差異とは、ディアスポラの内化した「目的」を見せられているも同然である。「グローバリゼーション」とは欧米の安全圏で紡がれた幻想であり、文化多元主義の大衆広告化である。 この状況を通過しておきながら、なぜ今さら「ドイツ」写真という、お馴染みのカテゴリーなのか。それは、アートのグローバリズムという素朴なマネーゲームと強くつながるのが、ユーロ最大の経済国であるドイツ、そして高い利益効率性を持つ写真作品であったという、その驚くほど単純な経済優位が、まさにアートの最先端としてそこに示されているからだ。1970年代中盤から80年前後にかけ、デュッセルドルフ芸術アカデミー、ベルント・ベッヒャーの写真クラスを出た写真家たち、俗に「ベッヒャー・シューレ」とよばれる彼らは、多くの美大生に違わず、奨学金や留学プログラムのおかげで訪れ住んだ外国で、現地の風景を撮っていた。やがて彼らは学生の身分やタクシーの運転手などの生活手段を経て、売れた作品の収入でみずから、興味のある外国に趣味旅行もかね出かけては、写真を撮る。顕著なのはアンドレアス・グルスキー、そして特にトーマス・シュトルートであるが、彼らの高度な撮影技術は、今日のグローバルな世界観と政治性を映す鏡としては、十分にクリアである。シンガポールの証券取引所、ラスベガスのホテル、上海の街頭、屋久島の密林…「世界」は現像ラボ発注で製品化され、彼らがかなり初期から使用しているプレキシグラスは、物的にもその「表現」を鏡面として完成させる。指示対象は、語られても語られずとも、どちらでもよい。「鏡」をただ鏡としておくにはそれを覗き込んではいけないのだが、覗き込む(=写されている対象について、印象論を語る)ことを過敏に意識した写真論は、いずれにせよ近現代の哲学をメタレベルでも語らなければいけないのだから、(指示対象ではなく)写真とは、「いかようにでも語られる」というラディカルな側面を、結果的に他のどんなアートよりも際立たせることになる。 2.写真の持つ「アウラ」? 写真という対象の、恣意性=独断/任意性。それはアクチュアルなインスタレーションや小一時間の映像作品を欧米に飛んでしか直に見ることのできない欧米「外」の人間にも、写真集のページをめくればたやすく語る言葉を見つける手助けをしてくれるし、なによりそこには日本の写真が含まれていた!(*1)それはグローバリズムのはたらく虚偽に満ちた、もうひとつの罪である。写真について「語る」とは、そのラディカルな恣意性において、逆に熾烈な欧米経済とのつながりを迫っているのだ。アンドレアス・グルスキーの作品を、ドイツロマン主義のカスパー・ダヴィッド・フリードリヒと切り結び、その未曾有の史的価値を問うニューヨーク近代美術館写真部門ディレクター、ピーター・ガラシの理論は、この点において超一級である。 ガラシの、明確な写真史を打ち出し、グルスキーという「錨」を移ろいやすいアートの流行に下ろそうとたくらむその戦術は、単純に写真のサイズにも関係している。幅が3メートル近くに現像されてもクオリティーを失わない高度な技術の賜物は、その一点一点にかかる資材や人件費からも、設定される価格はおのずと高くならざるをえない。だが言うまでもなく写真作品とは一点きりではなく、複数のエディションで売り買いされるのだから、市場で一度価値が安定すれば、それは対支出で見た場合、絵画に比べてはるかに高い収益率を持ちうる。高額投資と、リスク・マネージメントの洗練。「世界」をシリーズ化し、劣化させないベッヒャー・シューレ。記号の連なりとは、類似と差異から交換価値という意味を生み出すのだから、ベッヒャーのもたらした「タイポロジー(類型)」というスタイルの本当の遺産とは、この生産効率のことであった。にもかかわらず、グルスキーのみならずトーマス・シュトルートやトーマス・ルフなど、彼らのドイツ写真はその巨大さによって「アウラ」を獲得している。 この点で、ルフが、ギャラリーの出資ではじめて特大のポートレイトを発表した時のことを思い出しつつ、「人は大きいとそれだけで何かすごいものが写っていると思い込む」と述べていることは、示唆的だ。(*2)「大きさ」とはこの場合、すくむような絵画の哲学的「崇高」とは異なり、ただちに現像コストの高さを印象づけるものだからだ。それは写真をめぐる現代思想(をめぐる写真論)、市場と関係のないそのささやかな言論の果てしないスパイラルに先立って、常に強権な欧米経済そのものの意味であった。 ベッヒャー・シューレが拠点とするデュッセルドルフは古くからヨーロッパ随一の商業都市であり、コレクターの数も多かったことにいまさら説明はいらないが、そこはメッセが非常に盛んに行われる都市でもある。むろん、ベッヒャー・シューレの巨大な写真には、通常メッセのブースに掲げられる特大サイズの写真を現像する技術を持つ、特殊なラボの存在が介入している。そうしたラボはブースを出す一般海外企業からの発注にその利益の多くを追っていたはずであり、メッセとはこのように、そもそもグローバル経済の小宇宙のようなものとして機能する。ベッヒャー・シューレとは、この一見矛盾したヨーロッパ中央集権「経済の」グローバリズム、ただこれを示すのみの「中間芸術」である。世界を搾取する市場原理がドイツ写真の極上の恣意性を統率し、擁護する。そしてその純利益は写真家に「海外旅行」という視線をもたらし、この時「アートの」グローバリズムはひとつの制度として確立された。若い写真家やアーティストは今日、正体のしれない恣意性に強迫されながら、国際線に搭乗しつづける。 3.ティルマンスの「アプロプリエーション」 ドイツ写真のなかでもまだ若手とされるヴォルフガング・ティルマンスは一方、その天性ともいえるビジネス感覚で、写真という対象をアートのグローバリズムに巧みに、独自に近づける。90年代初頭に20歳前後のティルマンスを惹きつけたのは、ジェニー・ホルツァーやバーバラ・クルーガーらの、視覚メディアを援用する「アプロプリエーション」とよばれる手法であった。そこにいち早く大衆広告とアートの共犯関係を発見したティルマンスは、さっそくロンドンで雑誌業界へと参入し、ルポやファッション記事を飾る一見「無意味」な写真を撮りながら、しかし取材という名目で海外出張するおかげで、それを「ボーダレスな情報化社会の視点」として準備し、出版社のページと経費を「ハイ・アート」の制度空間と相応価格へとスライドさせてしまう。すなわちティルマンスの場合、写真はメディアの発注依頼でもあったため、直接原価は圧倒的に低いのだ。 雑誌そのものと変わらない小さなサイズと安価な紙、ジェットプリントという方法、そして壁面に散らばらせるディスプレイは、個々の作品の価格と恣意性をやや低下させてしまうものではあるが、しかしこれを補ってあまるほど、移動し続ける日常、主体の多数化というそのメッセージは、相当の作品点数の「意味」に直結している。ティルマンスの今日的な日常への視点の多層性とは、たった一点のみの買い上げでは説得力を与えられないから、一括購入による売上利益は、いずれにせよ確約されている。日常とは今日、それ自体が値の張るシステムなのだ。そしてその中でも要となる、飛行機からの俯瞰の眺めが上質の「世界」を示す限り、彼もまたドイツ写真の重要な一端を担うだろう。 ユースカルチャーさえ侵す欧米の覇権を希釈するティルマンスの写真の平和ぶりは、世界を均質化するグローバリズムそのもののあり方である。アマゾンで購入した写真集を開けばそこに、いくつものアイデンティティーのヴァリエーションが「等身大の日常への眼差し」という二次的なコードのもと、害もなくレイアウトされている。文化のひたすらな享受でしかないこの世界が資本主義というパースペクティヴを越えないこと、写真は意識や差異の果てに直面するなど結局ないことは、ドイツ写真において真に「語りえぬ」懸案であった。 しかし結局「世界」が写真という鏡に関係ないのなら、写真に「写真」という装置を置いて「入れ子」とすれば、ことはたやすい。それはもはや白痴的にグローバリズムの政治性をわしづかみにして、お定まりの批評言説を繰り返させる。すなわち、にわかに評価の高まっているトーマス・デマンドの作品がそれである。写真の恣意性は、反転する。写真をめぐる言葉は均質化の方向へ向かい、ドイツ写真の「反復」は、ついにそれが一回限りの過激な舞台装置の連続であったことを露呈させる。デマンドの写真とは絶対的に、「ドイツ」写真についての写真である。 4.自らを暴き出す「ドイツ写真」 1964年ミュンヘン郊外に生まれたデマンドは、もともとインテリア・デザインを学び、デュッセルドルフ芸術アカデミーでは造形芸術を専攻したという、一風変わった経歴を持つ写真家だ。デマンドは素朴な意味での現実を被写体としない。彼がレンズを向けるのは、新聞の世界情勢のページに載っている政治的な場面、およびごく日常的な光景であるが、それらはたんに再撮影されるのではなく、まず厚紙を用い、ほとんどそのまま立体的に再現される。デマンドはこの緻密な「セット」を、オリジナル写真そのもののように撮るのだ。おそらく、むしろ立体作品をたんに記録する意図から始まったこの手段は、恣意性に群がる写真論という、もはやそれ自体が「写真性」である状況に出合った時、絶大な効果を得た。 デマンドの厚紙のセットにはもともと「写真」が内包されているのだから、これを撮影すれば恣意性を統率するグローバル経済は分離し、その日常の仮象性は、前景(=鏡面)へと迫り出すことになる。グローバリズムはあからさまに写真の「意味内容」となり、堂々と語られる(写真論の一元化)。ブッシュ大統領選の際の開票場、サダム・フセインの潜伏していた住居、オフィスに空港の搭乗ゲート…ニューヨーク近代美術館写真部門のロクサナ・マルコーシや芸術評論の権威マイケル・フリード、その現実とメディアの不可分性、「現実とは何か?」というテーマは彼らによって、「ポスト」後期資本主義社会の、避けがたいテーマとしてデマンドの作品に発見される。(*3)しかし翻せば、そのドイツ写真にスタンダードなスタイル、巨大な現像にプレキシグラス加工で仕上げられたデマンドの「世界」は、写真の経済、そして厚紙工作によるグローバリズムの「演劇性」(フリード)というあり方を、逆に純化しそして浮き立たせることになる。 ロンドン、ベルリン、ニューヨーク、アフガニスタン、バーゼル、東京。高品質の世界はすべて、ドイツ写真に集約される。写真家たちが写しだすといわれるグローバルな日常と辺境は、アートのグローバリズムという、マーケットの用語である限り、一見地球規模の、しかし欧米資本経済という舞台上で繰り広げられるひとつの「演目」にすぎない。その単語が淘汰され波に呑まれ尽くされた時、やがて関係者たちはそれを歴史にすりかえ、語り継いでいく。また数多の写真論がいつか「世界」や「主体」を捨て去るその後も、次の用語を引き寄せて与えるのは依然このグローバル経済であり続けるのだから、ドイツ写真は「グローバリズム」の墓碑として、鏡面にその名を刻んだ。写真は、生きもせず死にもしない。そのたった1つのスタイルの名だけを別にし、安定した市場価値の上を流れる絶えまないアートの流行は、その完璧な表面に、傷ひとつ残せない。 * 1 シュトルートの日本好きは一部に知られるところであり、日本でのポートレイトや風景写真も多く発表されている。ヴォルフガング・ティルマンスはワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展来日の際に撮った写真が、その気さくな性格とともに親近感を湧かせたようだ。 * 2 Interview mit Tomas Ruff. alert, Juni/Juli/August Ausgabe, 3/03. S.47 * 3 Roxana Marcoci, “Paper Moon” In: Thomas Demand The Museum of Modern Art, New York, 2005, pp.9~27. Michael Fried, “Without a Trace” In: Artforum March 2005 No.7, New York, pp. 199-203 *「美術手帖」2005年11月号「ドイツの現代美術」特集に掲載されたものを、加筆・訂正の上転載した。 Dieser Text ist, obwohl so kurz und lediglich in japanisch geschrieben, all unvergissbaren Bekannten und Freunden aus meiner Berliner Zeit gewidmet. |

