Superficial aesthetic pleasure of postmodern art (仮) 芸術にとってのポストモダニズムを考える時、そこに様々な基準を置く事ができるだろう。ある者はロバート・ヴェンチュリの「ラスベガス」をひも解くだろうし、ある者はベーシックに、リオタールの「ポストモダンの条件」に遡るのかもしれない。設定されうる単線的な言説・批評史の出発点は、現行の、あるいは早ければ70年代中頃には存在した特定のコンテクストで、ポストモダニズムという視座におさめられてさえいれば、これを俎上に乗せて現在的なポストモダン芸術理論へ広げる事は、可能である。しかし、こうして成りたつ個々のポストモダン芸術理論が、ひとつの整除された文脈として、また多数的なポストモダニズムの星雲をなしながら、それぞれが相互に家族的類似をみせている時、われわれは最終的に、何をもってして明確な「ポストモダン芸術」を示す事ができるのだろう。近年アメリカのアート・マーケットで発掘され続ける、無名の「モダニズム作家」たちのあたらしい系譜によってだろうか、もしくは完膚なき印象判断、あるいは言説者の各々の歴史観の間に横たわる、意味体系の無風地帯においてこそ、だろうか。そもそもポストモダン芸術とは、「作品」の事をいうのだろうか、それとも作品を「作品」と名指すために不可欠な、「理論」の方なのだろうか。 今日まで、ポストモダンの芸術理論のマスターとなってきたのは、多くの場合活動の初期からこれを標榜してきた批評誌「オクトーバー」の編集委員、ロザリンド・クラウスやハル・フォスターらによる著書ではないだろうか。繰り返しになるが、コンテクストがまた別のコンテクストの紐帯となり、1つの歴史を設定しうる今、彼らの仕事についても、多くの批評史的な(再)解釈は可能だ。しかしごく一般的に見るならば、クラウスがクレメント・グリーンバーグの教え子として芸術理論の門を叩いた事、またそれ以降件の専門誌を舞台にフォスターを含め(ポスト)構造主義や政治学によって新たな批評手段を開拓し、これが80年前後に登場した芸術様式の言論上のフィードバックに大きく貢献した事が、モダニズム、そして70年代から80年代へ続く歴史的な足跡をたどる上で、「オクトーバー・グループ」をポストモダン芸術読解のソースとさせている。 しかしながら、クラウスやフォスターは、実際にはこの時期より後の芸術を多く取り上げているにも関わらず、学術研究の場では、その美学的なアスペクトが美術史との関連を損なわないまま抽出・還元され、これによって彼らの論じる比較的あたらしい作家や作品自体は、研究対象としての理論連関からあっけなく外されてしまう。また、その一方で、アート雑誌のエッセイ、興行的に成功した展覧会カタログの論文などから哲学的思想と関連するキーワードを引用し、これによってつくられる流行の芸術エッセイも存在する。それは論理の基盤をやや欠く、前述の印象判断の類いであるといえるが、アート雑誌やビエンナーレ、展覧会という、基本的にマーケットの成り行きを前提とした媒体に裏打ちされているために、前者とは異なる受容層によって支えられる。つまりそうした受容層とは、寄付や助成に恵まれた欧米の主要美術館の関係者、およびコレクターや大学に属さない批評家などであり、この「内輪」から派生するマネー・フローにおいて、後者の言説環境は維持されている。ただしこの場合、マーケットの流行そのものがつよい後ろ盾となるため、作家や作品について、オクトーバー・グループに対する分析・研究とは異なってより多くの具体的な例をもって構成されうるという、言説の立脚面での大きな「メリット」がある。このように、「学術」系と「時評」系という、両者の言説領域の間には、比較的明瞭な棲み分けがなされている。そしてそのどちらもが、ポストモダニズムにおいては(その家族的類似において)正当な芸術理論となりうる。 ここでは、まったく無自覚的にではないにしろ、オクトーバー・グループが一定の整合性をキープするアーカイブとして引き合いに出される場合に無視されがちな、あるひとつの要素に立ち戻りたい。その上でこれが昨今の芸術動向の一部に通底するものである事を示し、ポストモダン芸術の「理論」展開、そして「作品」を結びつける、ささやかな橋梁となる事。これが、このテクストの趣旨となる。 そのため、ここではまず、オクトーバー誌に携わったクレイグ・オーウェンスによる1979年掲載のテクスト「アースワーズ」へと焦点を当ててみたい。これによって、前述のポストモダン芸術の大きな2つの方向に、ある要素の検証を通し、最終的に1つの類似関係を見いだしたいと思う。その要素を、ひとまず「衒学(げんがく)」性としておきたい。「衒学」とは「学識ぶる事」を意味する言葉だが、ここではそこに、そうした態度が少なからずもたらす、学における「曲解」という意味合いをつけ加えたい。以降明らかにしてゆくように、オーウェンスはその芸術理論において、ヴァルター・ベンヤミンとジャック・デリダを援用しているが、これは意味解釈の本質的なレベ ルにおいて、「曲解」とみる事ができる。 オーウェンスは、ニューヨーク市立大学大学院センターで美術史を専攻し、当初は舞踏批評家として活動していた。オクトーバーの編集補佐を経て「アート・イン・アメリ カ」誌の編集を務めたが、90年に40歳で他界している。これまでのオーウェンスの仕事をみてみると、「アースワーズ」の他に「アレゴリーの衝動:ポストモダニズム理論へ向けて」や、「他者の言説―フェミニストとポストモダニズム」など、70年代前半から80年代前半の芸術動向を、ベンヤミンのいう「アレゴリー」や(ポスト)構造主義によって論じたものが、多い事が分かる。「アースワーズ」は芸術家ロバート・スミッソンについての作家論という一応のかたちをとりつつも、スミッソン自身による芸術論を集めた「ロバート・スミッソン論集」の書評というかたちもとっており、同書からの引用が多い。ここでは、スミッソンを論じているこの「アースワーズ」でのオーウェンスの言説的な特異点から始まり、それをオクトーバー・グループ全体の特性としながら、その80年以降の芸術との関係をみていきたい。従ってこのテクストは、決してロバート・スミッソンについての、「作家論」ではない。しかし、そうはいいつつも、スミッソンの作品について、多少は触れておく必要はあるだろう。 スミッソンはニューヨークのアート・スチューデント・リーグを卒業し、60年頃から作品を発表しはじめている。当初はロバート・モリスやロナルド・ブラーデンの幾何学的作品を思わせるミニマリズム的彫刻を発表していたが、同年代の末までにはそうした造形を「自然」へと求め、制作するようになる。こうした自然へと介入する芸術スタイルは、ランドアート、もしくは、「アースワーク」と呼ばれるものである。一般的に最もよく知られているスミッソンの作品は、70年にユタ州のグレート・ソルト・レイクの一部を螺旋形に埋め立てた、「スパイラル・ジェッティー」だろう。この巨大な造形物は、人工と自然の二項対立の可視化、浸食をもたらす水位についての十全なリサーチによる状況の一過性の設定という点から、アースワークの代表的な作品とみなされている。 オーウェンスはまず「アースワーズ」の冒頭で、前述の「ロバート・スミッソン論集」にみられるテーマを、「言語が中心にある際に、何が起こるか」、「中心と周縁の弁証法的な相関性」、としている。そこで中心と周縁は、それぞれスミッソンによって、「ノンサイト(Nonsite)」と「サイト (Site)」といいかえられている。ノンサイトは「非・現場」、サイトは「現場」と訳す事ができるだろう。では、これらの概念は具体的にどういったものなのか。差し当たりは、ノンサイトを屋内の「展示」、サイトを展示の対象となる、「屋外」という風に考える事ができる。スミッソンは、この2つの概念を念頭に初めて作品をつくった時の事を回想しながら、次のように語っている。 「最初に私がつくったノンサイトは、ニュージャージー南部にある、松の木に囲まれた荒野でした。(中略)そこには6角形をした飛行場があり、それは私が初期の作品で惹かれていた結晶の形として、とても都合のよいものでした。結晶は精緻に構成されています(mapped out)が、結晶を記述する事は、実際私にとって地図をつくる事(map-making)へとつながりました。(中略)当時私はある建設会社のために地図の作成と航空写真の撮影に携わっており、それらに精通していました。なので、この松の木林の荒れた土地を一枚の紙として使い、20×30(インチ)といった紙ではなく、広大な土地の上にひとつの結晶の形を描く事にしたのです。こうして私は、このコンセプチュアルな思いつきを何マイルにもわたる土地(Site)の分断へ、直に応用しました。」 この、「広大な土地の上にひとつの結晶の形を描く事」という発言からすぐさま思い浮かぶのは、6角形の地上絵を描くというような、壮大な「アースワーク」だろう。しかしここで触れられている作品は、実際には展示可能なサイズの、立体と地図でしかない。これらが単純に、屋外についてのコンセプトを展示によって屋内に示したものだとしても、上の発言によると「広大な土地の上にひとつの結晶の形を描く事」は、このように(20x30インチといった)紙の上に地図を描く事では、決してなかったはずだ。しかし一方でスミッソンは始めに、ノンサイト(屋内の作品)は「松の木に囲まれた荒野」であると述べている。屋外=屋内。これは、スミッソンの言明と作品との、明らかな矛盾となる。そしてこの矛盾を解消するカギとなるのが、スミッソンの「比喩」という方法である。 スミッソンは69年に、サイトとノンサイトに対応する10の概念を発表した。これによると、まずサイトは周縁、ノンサイトは中心だが、またサイトは「映像(reflection)」、ノンサイトは「鏡(mirror)」とされている。このスミッソンの概念の定義づけを、以下のように「比喩」として考えてみる事にしよう。ノンサイトが含む否定辞(非-/ non-)は、映像、つまり、サイトではないという事を示している。そして、それ自体(mirror=鏡面)につねに反射した映像があるという点では、鏡とはまた、映像でもあるといえるだろう。さらに、鏡は否定辞 non と映像との区分不可能性によるものであるために、否定の対象である映像を示さずに、ノンサイトが表れる事はない。鏡面はつねに、映像を反射していないという事は、ないのである。スミッソンにおいて、サイトとノンサイトはそれぞれが映像と鏡に対応しており、この関係において両者の二項同士は、等しいという事になる。 前述の作品での結晶と飛行場という概念は、それぞれ自然(サイト)と人工(ノンサイト)に、比喩として対応している。さらにこの二項に、このスミッソンによるサイト/ノンサイトの10の定義、もしくは定義であるところの概念が、連続して映される。つまりこの時鏡/映像をみている「自己」とは、これら「概念」である、という事になる。スミッソンにおいて鏡/映像として表れる自己とは、通常考えられる人間主体としての自我ではなく、比喩から比喩へと転じていくプロセスにおいて認識される、この概念に他ならない。二項の同一化は、いいかえれば比喩を通して二分化され、自らを形成していく際に起こる、概念の「自覚」なのだ。サイト/ノンサイトとはこのように、鏡という比喩を通して展開される言語概念の連関、および単一的主体に統一化されない、その都度表れる自己の同一性において、意味を持つ。 以上の理論。これは、形而上学的精度に欠ける、あるいは単に観念的として、誹りを受けるだろうか。しかし、引用読解とその棲み分けが差異化されていく「文脈主義」という手法が、そもそもどれほど精確に形而上学を語りうるのかという問題はおくとして、人間主体ではない(つまりはそもそも形而上学に相いれない)、あくまで言語概念の自己の表出(expression)=芸術表現という、にわかには考えがたいこの芸術のあり方は、自らの作品との繋がりにおいてスミッソン自身が多く語っている。そして、これと同様の事をバロック悲劇に対し述べていたのが、ヴァルター・ベンヤミンであった。非・自己へのリフレクションによりこの非・自己(他者)のそれと同時的になされる自己認識(非・他者=自己)の連鎖という考えは、ベンヤミンの初期の論考「言語一般および人間の言語について」にもはっきりと示されているが、これは後に、よく知られる「アレゴリー」の重要な基礎となる。ベンヤミンは「ドイツ悲劇の根源」において、主体を通した概念化行為によって事物へと付加された意味をBedeutung(外的意味)とし、これを事物の内発的な意味(Sinn)と区別した上で、そうした主体的意味付与においては事物の「存在論的な」自己性の抹消がなされる、としている。このベンヤミン的な「アレゴリー」と前述のスミッソンの「比喩」は、事物の概念化にともなう、概念同士による自己認識とその連鎖という点においてきわめて相似しており、これがスミッソンの表現上の特性となっている事は確かである。そして付け加えるなら、スミッソンの作品とは、こうした自己としての言語概念を、芸術の必要前提としてそこにはらんでいる。 ベンヤミンも言うように、アレゴリーは「有機的な総体性をもった像」としての芸術象徴ではなく、このような概念の自己認識に際し示される、自己(再帰)表現的なもの(ein Sich-Darstellendes)における、意味の反映であった。しかし一方でオーウェンスは「アースワーズ」で、ベンヤミンの名を挙げてこの「アレゴリー」を援用しながらも、スミッソンの芸術の本質となっているその「意味(Sinn)」を人間主体、すなわち言説主体によって捉えられる「外的意味(Bedeutung)」へと、すり替えてしまっているのである。 「作品を出現させ、特定の場所に根づいたものとするため、そこに設置するというスミッソンの願望(desire)は、アレゴリカルな願望であり、アレゴリーへの願望である。(中略)グレート・ソルト・レイクはその水位を上げ、スパイラル・ジェッティーを浸すのだが、表面に残された塩分を含む堆積物は、その結晶体の連なりにあって、(スパイラル・)ジェッティーを一つのテクストとして描写する事を可能とする、別の連なりへと転じる。この、作品をその文脈へ組み込もうという願望は、モダニスト達の彫刻の「故郷の喪失」に対する回答というだけではなく、ポストモダニズムの一般的特徴である。またそれは、歴史における時間的定点にあり、アレゴリーの戦略上の意義を示し、語る。」 ここで「結晶体の連なり」が、その形から「別の連なり」、すなわち物的次元における概念連鎖としてのみテクストを反映しつづける時、スパイラル・ジェッティーはベンヤミンの用法において、アレゴリーである。しかし、その後の文「作品をその文脈へ組み込もうという願望」、そしてその前にある、スミッソンの「アレゴリカルな願望、アレゴリーへの願望」という発言は、アレゴリーをスミッソンという芸術家の主体性へと還元しようとする、オーウェンスのあからさまな作家主義的視点によっている。こうした、オーウェンス自身の素朴な企図によってスパイラル・ジェッティーに与えられる「意味」、およびそのスミッソンの「戦略上の意義」とは、アレゴリーにおける事物の内的な意味ではないだろう。アレゴリーから表出される物的な意味概念は人為操作には帰結しえず、それは一人の作家が願望によっては所有しえない限りでの「様式」なのだから、ここでオーウェンスのいうアレゴリーは、アレゴリーではないどころか、これを「抹消」している事になるのだ。 ここで、このスミッソンの芸術表現としての言語概念と、オーウェンスの言説との「意味」上の決定的な違いは、「ポストモダニズムの一般的特徴」を導出しようと試みる、オーウェンスの「意図」に起因している。こうした理論的陶冶への論者としての企図は、それ自体としては正当なものだろう。しかし、オーウェンスがこの外的意味へと放逐・異化されたアレゴリーを持ってして「ポストモダニズム」を明確化しようとする時、「歴史におけるその時間的定点にあり、アレゴリーの戦略上の意義を示」すという発言からも分かるように、そこにはポストモダニズムをあらかじめ歴史的な定点から鳥瞰し、そこにスミッソンの芸術価値をみようとする、歴史超越的な意思が働いている事は見逃せない。ここでわれわれは、冒頭に挙げた疑問に立ち返らざるを得ない。仮にスミッソンの「作品」がポストモダンであるならば、それはこうした主体との本来的な無関係性によるためであり、それは言説主体において形式化され象徴に転じさせる事ができないものである、したがってポストモダン芸術とはここに見る1つの可能性において、いかなる既存の美術「史」にも含まれない。それは、総体的な歴史化の運動とは無関係にあるはずだ。しかし、われわれはポストモダン芸術の作品を示そうとする時、何らかの歴史的主体性にうがたれたコンテクストの「(外的な)意味」とする事でしか、これを表す事ができない。アーサー・ダントの言葉を借りるまでもなく、ポストモダン芸術とは(自己再帰表現的な)「作品」としてではなく、そもそも歴史的措定へと差し向けられる、作品についての「言説」の内にしかないのである。オーウェンスの「アースワーズ」はポストモダン芸術理論の活路を開く一端となりながらも、こうした意味の二極的側面の問題を残しており、皮肉にもそれこそがモダニストの「故郷の喪失」(クラウス)に対する、答えとなっている。つまりポストモダニズムは、線状をなす歴史(=故郷)から切断(=喪失)されるべきはずのモダニズムと同じように、結局のところ、歴史的な総体化から自由ではないのである。 ここでもっとも重要な点は、オーウェンスはベンヤミンによるアレゴリーを美学的に引き合いに出す事によって、スパイラル・ジェッティーを、あたかもこうした線的な歴史や理論主体を切断・抹消し、乗り越えるであろうものとして衒学的に演出し、これに成功しているという点である。モダニズム以降、作品とはもはや理論の内にあるのだから、オーウェンスの理論によってスパイラル・ジェッティーは実際には、アレゴリーの象徴、ポストモダニズムの歴史的意匠へと、再形式化されてしまっている。そしてこの象徴的アレゴリーによって「脱歴史」は意味され、モダニズムからの訣別としての「ポスト」という接頭辞のニュアンスは発生する。 さらにオーウェンスは「アースワーズ」で、もう一つの重要な衒学的身ぶりをみせている。それは、ジャック・デリダの援用である。このデリダの援用によって、オーウェンスはポストモダン芸術の言説理論化という大きな流れに、1つの分水嶺を設けようとしている。 *続く(たぶん。)、脚注はすべて省略。また、文中「松の木に囲まれた荒野」はいわゆるPine Barrensというニュージャージー南部の特定エリアの通称であり、地名ではない為このように直訳した。転載禁ず。 |