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大森俊克

ドクメンタ12 レポート (2/2)




今回のドクメンタのために特設された、「アウエ・パビリオン」へと足を運びましょう。第一回目のドクメンタのメイン会場となるはずだったこの場所に、当時計画されていた「テント」というところから着想をえて、ブリューゲルはフランスの建築家にこの仮設物の設計を依頼。会場の横に広がる田中敦子のナイロン地のインスタレーションは、55年という初制作の年からも、実現されなかったテントを表しているのでしょう。



会場全体を通して多く目立つのが、オーストリア人作家Gerwald Rockenscahubの立体作品です。90年代後半、ラウンジやDJブースに作品を一体化させ、ミニマリズムの造形とデザインの関係をあぶり出したRockenschaub。アカデミックな議論によって閉塞化していった60年代の表現が、生活と直接つながった「モダン」へと、その意味を拡充させています。



George Osodiは、報道カメラマン。ハイビジョンで映し出される祖国ナイジェリアの人々の生活、そして日常の風景には、不思議と政治的メッセージは感じられません。昨今紋切り型となりつつある、ドキュメンタリータッチのコンセプチュアルな作品にはない、素直な生の賛美、アフリカについてもっと知ってもらいたいという気持ちのあらわれが、逆にとても新鮮です。



水戸芸術館での「夏への扉」展への出展が、まだ記憶に新しい青木陵子のドローイング。今回世界の大舞台を手にした青木に、今後の活躍が期待されます。



今回、さる海外コラムニストによって酷評を受けていたのが、多く展示されていたJuan Davilaの作品です。「悪趣味」ときっぱりコメントされたDavilaのペインティングですが、チリからオーストラリアに移住したDavilaのプロフィールを示すかのように、南米絵画のフラット性と色づかい、そして欧米文化の辺境ならではの、とらわれのない大胆な風刺によって、存在感を放っていました。過去の巨匠の作品イメージを転用するやり方は、80年ごろにプリューラリズム(多元主義)として、ニューヨークでもてはやされたスタイルを思わせます。経済的な楽観主義につらぬかれていたこのスタイルとは違い、同時期に描かれたDavilaの作品は、ポップアートの匂いを漂わせながら、アートの市場中心主義、そしてアカデミズムによる大衆排斥に対する、つよい批判精神をうかがわせます。また、キャンバス地を天井からつり下げる展示の方法も、「マルチカルチュアリズム」とよばれる80年代のスタイルによく見られたもの。モダンの「権威」の象徴となりかねない木枠の支持体そのものを外してしまうことで、抑圧されていた政治マイノリティーの表現性を際立たせたのです。ブリュゲルは、第一回目のドクメンタでピカソの絵画作品が、天井から垂れ下がったパネルに掛けられていた事に注目します。この展示方法によって、鑑賞者(主体)と作品(対象)の関係性がゆらぎ、どちらもが渾然としたまま上位・下位のない環境が保たれる?このような環境が本来のモダンの姿ではなかったかと、ブリュゲルは推察しています。「マルチカルチュアリズム」へとさかのぼる事はまたブリュゲルにとって、モダンそのものによって隠されていた、もう一つの発展史を明るみに出す、大きな目的を持っているのでしょう。



「ノイエ・ギャラリー」に場所を移しましょう。2世紀前の建造物であるこの美術館は、今回の展示にあわせ、内装を一新。「アウエ…」についで展示数が多いスペースですが、小部屋が単調につづく19世紀の回廊式の間取りのため、個々の作品のプレゼンテーションにも、やや単調さはいなめません。「モダン」が最大のテーマとなる今回、モダンのはじまりに建てられたこの会場を選んだことには、それなりの意味があったでしょう。しかし、コンセプト重視型から離れようとしていた今回のドクメンタが、コンセプトによって作品の展示環境を犠牲にしてしまうという、「ねじれ」が見られなくもありません。



地下の暗闇で、サロンの雰囲気をかもし出す、Elanor Antinの「The Nightingale Family Album」。過去の名画をまねた写真、女性のアイデンティティーを問いかける仮装というやり方は、シンディ・シャーマンを連想させます。しかし演劇の舞台芸術(これも、今回のドクメンタにみられる一つの傾向です)の書き割りを取り入れるAntinの発想は、シャーマンのようにメディアに対する内部告発、つまり、アカデミズムの土俵で女性性をあやつるような知的なゲームとは異なり、ウィットに富んだエンターテイメント性、20世紀はじめのノイエ・ザッハリヒカイトのような風刺描写によって、もう一つのモダンの姿を浮かび上がらせます。



「私たちは、ユネスコではない」とは、ブリュゲルの妻でもあり、今回のキュレーションも務めた美術史家のルス・ノアックの言。参加アーティストの国籍について詰問した、プレスに対する答えです。「グローバリゼーション」というキーワードのもと、いわゆる第三世界のアーティストが数多くフューチャーされていた前回のドクメンタ。それに比べ、今回目立つのは、なんといってもアメリカのアーティストの多さです。8作品を出展している、Mary Kellyもその一人。夫であるRay Barrieとのコラボレーションでは、温室のような構造物に、第三世界のフェミニスト達のテクストを刻みました。夫婦のコラボレーションという個人的事情への、ブリュゲルとノアックの親近感の表れでもあるでしょうか?(さらに批判が起こりそうです)



「フリーデリヒアヌム」の階段のつきあたりで「歴史の天使」を目撃した私たちは、ここで粋な趣向に出合うでしょう。まったく同じポイント、つまりノイエ・ギャラリーの階段をのぼっていると、つきあたりの大張りのガラスごしに、James Colemanの映像作品「Retake with Evidence」がみえます。ドクメンタのために制作された本作に出演するのは、俳優のハーヴェイ・カイテル。高い演技力による重厚な存在感が溢れています。シンプルなセットのなか、盲の廃人が生きる事の意味について自問し、さまよいます。古代ギリシャの遺跡を縫うように、盲者が問いつづける生の慟哭は、哲学的解決をみたかのように思われたモダンが、ふたたび精神性のはじまり、宗教や自然の問題について立ち戻らざるをえない現代の、困難と苦しみをあらわしています。それはまさしくクレーの描いた、未来へと飛ばされてゆく「天使」の苦難でもあるのです。

会場はまだまだ2カ所、のこっています。ですがこれらは、それぞれ市街地から距離があり、また展示数がとても限られているため(『アートセンター・シュラハトホーフ』には2点のみ、『ヴィルヘルムへーへ城』には40点が展示)、これから行かれるかもしれない皆さんのたのしみため、ここでの紹介はあえて控えておきましょう。ですが最後に、「ヴィルヘルムへーへ城」から、印象深い作品を。



サラエボ出身の女性作家Danica Dakicは、今回数少ない、カッセルという地域との関わりから作品をつくりあげた一人です。カッセルの美術館で「エルドラド」という壁紙をつかった風景画にインスパイアを受けたDakicは、カッセル市の移民孤児院の10代の若者に、彼らにとってのエルドラド=黄金郷はなにか、アンケートをとりました。そして彼らの中から、映像作品の登場人物が選ばれました。祖国の唄や武術を披露するシーンには、ショービジネスで成功する、といった夢を語るナレーションが挿入され、現代のコマーシャリズムの意匠となる壁紙をつかったDakicのスクラプチャーが、セットとなってアクセントをあたえます。小気味よいカットと若者の不安定さの硬質な表現、ポップな色使いと映画的なそのアングルは、ダグ・エイケンを思わせます。しかし、一見政治色をなにも感じさせない中に、Danicは今ドイツが抱える現実問題を、地元での入念なリサーチから、詩的かつ力強いイメージへと昇華させています。



タイ人作家、Sakarin Krue-Onによる、棚田。ドクメンタの景観を一望にできる城の前の勾配に、ドクメンタのスタッフ、カッセルの農業関係者、タイからの専門家などとの共同作業によって、機械を使わない、昔ながらの方法でつくられました。「ありのままの生活」「私たちは何をするべきか」の答えは、ここに解き明かされているようです。約500点の作品を鑑賞できる、アートの祭典。ここに紹介した作品は、そのほんの一部です。皆さん自身の「答え」を、この美しい小都市へと、探しに訪れてはいかがでしょうか。

(大森俊克)
(2/2) >>part1












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