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京都

京都は、暖冬の影響で早々と桜が咲いたが、開花して急に冷え込んだせいで、私が企画する展覧会のオープニング後に行われた丸山公園での花見は、全員ブルブルと震えっぱなしだった。仕方なく小一時間ほどで切り上げ、アーティストたちと木屋町通りにある「ろくでなし」に避難して、二度目の祝杯を上げる(この展覧会は、5月5日から6月3日まで東京のワンダーサイト本郷に巡回します)。
その桜の真っ盛りの頃、岡崎公園にある近代美術館でアール・デコのジュエリーの世界を鑑賞。レオナルド・フジタもそうだったが、古き良き日々のエコール・ド・パリの美、洗練、コケティッシュさに改めて感嘆。とくにカルチエのデザイナー、シャルル・ジャコーが作り上げるジュエリーのフォルムの優美さは筆舌に尽くしがたく、すっかり魅了された。


京都の夜桜

忙しさも手伝って、映画館に行くことがほとんどなくなった。その代わりに、最近ではヴィデオを借りて観ることが多い。京都から東京に帰ってレンタルショップを訪ねると、韓流映画の人気が衰え始めたときキム・ギドクの映画をまとめて観て以来、今度はミヒャエル・ハネケの映画のヴィデオが並んでいたので、早速借りて持ち帰る。ハネケの作品のうち、『ファニーゲーム』と『ピアニスト』はすでに鑑賞しているが、やはり複数の作品をまとめると印象が一層強まる。「感情の氷河化」と呼ばれる初期の3部作、『セブンス・コンティネント』(1989年)、『ベニーズ・ビデオ』(1992年)、『71フラグメンツ』(1994年)で物語られる事件は、すべて近年の日本では日常茶飯となっている出来事である。近未来を予測するハネケの先見の明だろうか。それとも、90年前後のオーストリアと現代の日本とでは、表面的な類似点があっても、その内奥の原因はまったく異なるのだろうか。あるいは、90年代以降時代が完全に停滞し、世界全体が同一のことを反復しているのだろうか。 第1話で語られる、家族全員による文字通りの自殺行為は、それが単なる心中であれば、絶えがたい悲劇と感じられるかもしれない。しかし、家庭の内部(家具、インテリア)を徹底的に破壊し、自殺願望を大いに満足させる極限状態まで見せつけられると、個人の退行的な自壊というより陽気な革命の蜂起のような衝撃を受ける。第2話の少年の理由なき殺人についても同様だ。若年層による殺人は近年日本でもスキャンダル扱いされるが、特別な動機のない殺人行為に及ぶようになるのは、ハネケ本人が警告するように、マスメディアによる映像の氾濫で現実にリアリティがなくなったことが主要な理由だとしても、もはや直接現実に出会うことが望めない状況では、そのように幻想化した現実を嘆くのではなく、この現状をいかに生きるかを本気で考えたほうがよい。ハネケの指摘とは逆に、映像の方によりリアリティを感じることも多いのである。第3話は、ハネケお得意の無数の現実の「断片」を連ねて一篇の錯綜した映画に仕立てたものだが、その末尾に出来するピストル乱射とその果ての自殺にしても、「コミュニケーションの不可能」の極端な発現というより、世界の閉塞した現状を打破するための突発的な暴走と解釈したほうが、無益な絶望に陥らないですむだろう。


art zone(京都、展覧会場のひとつ)

そして2000年代になって、ハネケは多文化的状況の現実へと突き抜けた。『コード・アンノウン』(2000年)で描き出されるのは、予定調和を目指す多様性とはまったく反対に、人々がつねにその外部へとさらされる、完璧に分裂した世界である。それは、女性の主人公が、メトロ内で唾を吐きかけられたとき感じたであろう、あの逃げ去ることのできない「いたたまれなさ」に端的に現われる。この秀逸なシーンが、まさに21世紀の現実だが、そこから救済を垣間見ることはできない。われわれは目を逸らさず、この現実に向き合うほかない。敵意むき出しの他者と接触する外部にさらされるこの状況を、近未来に投影したカタストロフ映画『タイム・オブ・ザ・ウルフ』(2002年)は、逆にその分だけ悲惨さが和らぐ。


桜の散った京都

VooredomsとSonic Youthのジョイント・コンサートを聴きに行ったついでに、Sonic Youthの新譜、未発表曲を集めたCD『the destroyed room』を買い求めた。ジャケットの表紙を飾るのは、Jeff Wallが1978年に制作した同名の写真である(過去に、Gerhard Richterのロウソクの絵がアルバムの表紙を飾ったこともあるので不思議ではない)。収録曲では、最後の『ダイアモンド・ダスト』に共感。

再び京都。すでに桜は散っている。そんな季節のなか、京都文化博物館で開かれている、絵画と衣裳に関する展覧会を鑑賞。素朴で大らかなものから、きっちり洗練されたものまで、様々ある時代衣裳の紋様の豪奢さは、どこから来るのだろうか? 高級な素材や、優雅・繊細・大胆・緻密なデザインからだろうか? それは、予想に反してテーマのない無目的性に由来するのではないか。それがもたらす〈大きさ〉に私は感動する。同時に出展されたボッティチェリの《美しきシモネッタ》では、モティーフの人物が夢見心地なのではなく、画面に描かれたボッティチェリの世界が夢なのだと確信。写真のチラシを持つ若い女性もまた夢の中?


展覧会チラシをもつ若い女性







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