LOOKERS INTERVIEW No.003 (1/2)

ヴィジュアリスト 手塚眞氏
19歳で伝説の8ミリシネマ『MOMENT』を監督。学生時代はホラー番組のルーツとなった『お茶の子博士のホラーシアター』をテレビで自作自演、角川映画『ねらわれた学園』出演などを経て、ロック・ミュージカル『星くず兄弟の伝説』、『妖怪天国』を監督。数々のMTVを手がける一方、『宝塚市立手塚治虫記念館』をプロデュースするなど、手塚治虫の遺族としての活動も行っている。 99年、映画『白痴』がヴェネチア映画祭にてデジタル・アワードを受賞。他に本の執筆、音楽のプロデュース、イベントの企画制作など、表現全般を手掛けている。
2004年10月からのテレビアニメ『ブラック・ジャック』(よみうりテレビ・日本テレビ系 毎週月曜よる7:00〜放送中)監督も行う。 2005年12月17日(土)全国東宝洋画系ロードショー 映画『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』、2006年1月28日(土)渋谷Q-AXシネマ オープニングロードショー映画『ブラックキス』が立て続けに公開される。
LOAPS:今回のLOOKERS INTERVIEWはヴィジュアリストの手塚眞氏。手塚治虫の長男でもある氏が満を持して父の名作漫画「ブラック・ジャック」の劇場アニメを監督し現在公開中である。そして立て続けに来年1月には新作の猟奇スリラー映画「ブラックキス」が公開される。実験的なアート系映画からエンターテイメントまで手掛ける手塚眞氏は交友関係も幅広く、アーティストとの交流も盛んだ。多忙を極める手塚氏に創作の原点やアート、そしてアーティストとの出会いなどを語ってもらった。
LOAPS:手塚さんのクリエイティブのはじまりを教えてください。
生まれた家がめちゃくちゃサブカルのど真ん中で(笑)、その空気をすって生きてきてしまったので、そこでしか生きていけない体になってしまいました。
ちょうどカラーテレビがすごく流行り出したころに生まれているので、洗礼をものすごく受けていて、その当時の最新の映像はテレビから発信されていたわけで、何でもかんでも面白くて吸収していました。それで多分マンガというよりは、映像の方にいったんだと思うんですね。 逆に言うと、マンガは家の仕事だったからもう見飽きちゃってて、家の仕事が面白いと思わないっていう感覚と、父親の創作の苦しみ、それもビジネス上の苦しみとか、厳しい条件の中でマンガとかアニメを創る苦しみを肌で感じてしまったんで、そこに近寄るのが恐かったっていうのがありますね。それで「マンガ」と「アニメ」はやるまい、と(笑)。
ただ映像はすごくやりたい気持ちのまま育って、小学生の時にはもう映画監督になろうと思っていたんですね。小学校ではデザイン部に入ったんですけど、入ってみたら女の子しかいなくて、「ああ、これはただのお絵描きクラブだ。」と思ったんだけど、仕方ないからそこにいて(笑)。その時、学校の食堂に大きな壁画を描くという計画が持ち上がって、学校側からデザイン部に発注がきたんです。男の子が僕ひとりしかいなかったもんだから、先生に「手塚くん男の子なんだから君が監督して絵をみんなで描こう。」って話になって。その時始めて監督って言われたんですよ。小学校の5年くらいですね。それ以来ずっと自分の中では監督なんです。
ちょうどカラーテレビがすごく流行り出したころに生まれているので、洗礼をものすごく受けていて、その当時の最新の映像はテレビから発信されていたわけで、何でもかんでも面白くて吸収していました。それで多分マンガというよりは、映像の方にいったんだと思うんですね。 逆に言うと、マンガは家の仕事だったからもう見飽きちゃってて、家の仕事が面白いと思わないっていう感覚と、父親の創作の苦しみ、それもビジネス上の苦しみとか、厳しい条件の中でマンガとかアニメを創る苦しみを肌で感じてしまったんで、そこに近寄るのが恐かったっていうのがありますね。それで「マンガ」と「アニメ」はやるまい、と(笑)。
ただ映像はすごくやりたい気持ちのまま育って、小学生の時にはもう映画監督になろうと思っていたんですね。小学校ではデザイン部に入ったんですけど、入ってみたら女の子しかいなくて、「ああ、これはただのお絵描きクラブだ。」と思ったんだけど、仕方ないからそこにいて(笑)。その時、学校の食堂に大きな壁画を描くという計画が持ち上がって、学校側からデザイン部に発注がきたんです。男の子が僕ひとりしかいなかったもんだから、先生に「手塚くん男の子なんだから君が監督して絵をみんなで描こう。」って話になって。その時始めて監督って言われたんですよ。小学校の5年くらいですね。それ以来ずっと自分の中では監督なんです。
LOAPS:映画を作りはじめたのはいつ頃からですか?
高校生くらいから映画は作っていました。とにかく子供の頃から耳年増というか目年増というか、わりと色んな映画を観ていたんですよ。その中にアート系の映画や、実験的なアニメなども色々観ていたので、実際に仲間ができて機材を集めて作りはじめたら、商業映画というよりもアート系映画を作ってたんですね。一方ではお話があって楽しい映画も好きなんですが。
それで学生時代から映画を作ってはぴあのフェスティバルとかコンペに出したりしていて。そうするとぽつぽつ賞とかももらって評価される様になっていったんです。ある作品を森本レオさんにすごく褒められて、「これは2001年宇宙の旅以来の衝撃だ。キミはキューブリックの再来だ!」なんて言われた事もありました(笑)。今考えれば大げさに言ってくれてたんだと思うんですけれど、それでも言われた方はすごく嬉しいですよね。当時としてはとても励みになりました。
それで学生時代から映画を作ってはぴあのフェスティバルとかコンペに出したりしていて。そうするとぽつぽつ賞とかももらって評価される様になっていったんです。ある作品を森本レオさんにすごく褒められて、「これは2001年宇宙の旅以来の衝撃だ。キミはキューブリックの再来だ!」なんて言われた事もありました(笑)。今考えれば大げさに言ってくれてたんだと思うんですけれど、それでも言われた方はすごく嬉しいですよね。当時としてはとても励みになりました。
LOAPS:手塚さんはアーティストの友人が多いですね。
映画のコンペに出品したりすると、そこでまた面白いヤツに出会ったりするんです。普通の人の交遊関係というのは自分がいる地域やグループに限られていくんですけど、そうやって色んな場所に参加していくことで様々なジャンルの人と知り合いになれましたね。僕の場合はこんな感じでペコペコしてて、父にも増して社交的だったんで自分が興味をもった人に会いにいくのは抵抗はないんです。それにアーティストってすごくナイーブじゃないですか(笑)。恐い顔してるヤツでも話してみるととてもいいヤツだったり。実は臆病だから恐い顔してるだけだったりして(笑)。
LOAPS:手塚さんは映画を中心に様々な活動をされていますが、なぜご自身を「ヴィジュアリスト」と名乗るのでしょう?
「映画監督」って職業の名前だから、アーティストの名前ではないですよね。職人的な監督さんもいるわけで、極端にいうとアートの事がまったく何もわかっていなくても、リーダーの資質さえあれば全然感性がなくてもやれる。そうすると、自分はなんか違うんじゃないかって気持ちがあって。
でも自分でアーティストって名乗るのも違うんじゃないかな?というものあった。その人がアーティストかどうかっていうのは他人が決めることで、自分で言ったらカッコ悪いと思って。でも何か表現をやっているという思いもあったので「ヴィジュアリスト」と名乗るようにしたんです。
でもヴィジュアリストと名乗っているお陰で、映画監督から、イベントプロデュースから、コンテンツ製作まで色々な仕事を頼まれます。もし自分が映画監督って名乗ってたらこう色々な仕事の依頼は来ないと思うんですよね。毎回やる事が初めてだったりするんですけど、いつも何とかなっちゃうんですよね(笑)。今回アニメの『ブラック・ジャック』もテレビ版から監督をしているわけですけど、テレビアニメの監督も始めてだった。でも父の仕事を子供の頃に見ていたし、なんかできちゃうんです。
でも自分でアーティストって名乗るのも違うんじゃないかな?というものあった。その人がアーティストかどうかっていうのは他人が決めることで、自分で言ったらカッコ悪いと思って。でも何か表現をやっているという思いもあったので「ヴィジュアリスト」と名乗るようにしたんです。
でもヴィジュアリストと名乗っているお陰で、映画監督から、イベントプロデュースから、コンテンツ製作まで色々な仕事を頼まれます。もし自分が映画監督って名乗ってたらこう色々な仕事の依頼は来ないと思うんですよね。毎回やる事が初めてだったりするんですけど、いつも何とかなっちゃうんですよね(笑)。今回アニメの『ブラック・ジャック』もテレビ版から監督をしているわけですけど、テレビアニメの監督も始めてだった。でも父の仕事を子供の頃に見ていたし、なんかできちゃうんです。
(c)2005 映画「ブラック・ジャック」製作委員会
ブラック・ジャック ふたりの黒い医者
http://blackjack.jp/movie/
ブラック・キス
http://www.blackkiss.net/
手塚眞の絶対の危機
http://tzk.cocolog-nifty.com/
手塚眞のオフィシャル・サイト neontetra
http://www.neontetra.co.jp/
| (1/2) | >>次のページ |