LOOKERS INTERVIEW No.004 (1/2)

西村大助氏
TOKIONの日本版のシニア・エディター。www.tokion.com
のウェブデザインも手掛ける。また自身もアーティストとして活躍中。
TOKION
時と音をコンセプトにリリースされている先鋭的な雑誌。ニューヨークと東京に編集室を持ち、「人」にフィーチャーした特集を企画している。東京の実質編集長は西村大助氏、アートディレクターにはオーストラリア出身のニューヨーク在住のDeanne氏なども在籍。
http://www.tokion.com/
http://www.tokion.jp/
LOAPS:TOKIONはどういう雑誌ですか?
「時の音」という意味と「東京」という意味と宇宙戦艦ヤマトに出て来た「タキオン」という光よりも早い粒子の3つのトリプルミーイングを持つ雑誌です。8、9年前に創刊されて今51号。東京でアダムとルーカスという2人によって始まり、3、4年後にニューヨークにオフィスを移したときから僕は一緒にやっています。3年間ニューヨークでやって、日本にきたのが2年前。サブカルチャーから始まったんですけど、今はもうカルチャー全般、アート、ファッションという形でアレキサンダー・マックイーンのインタビューからジム・ドレインまで取り上げていますね。
LOAPS:特にどのような点にこだわっていますか?
アンソロポロジー・オブ・ポップカルチャー、つまりポップカルチャーの文化人類学というかAnthropologyというか、モノやニュースに集中しないで面白い人間をフィーチャーすることです。たとえば、あなたがトップミュージシャンだったら「あなたの最新アルバムは何ですか?どんな風に作りましたか」って言う質問じゃなく「昨日何の夢見たの?」と質問する。それがTOKIONのスタンスです。
LOAPS:そういう中での西村さんの役割を教えて下さい。
僕は最初はニューヨークでwebデザイナーとして入って、それから編集からトキオンショップの店員からイベントまで、アメリカではずっと一緒にやっていました。帰って来て編集のリーダーとしてアメリカと連動しながら編集したり、またアートディレクターと連携しながらデザインしている、いわゆるまとめ役みたいな形ですね。
LOAPS:西村さんはどのようにしてアートの世界に入ったのですか?
最初、大学で物理をやって大学院でニューロサイエンスを専攻していたんですけど息詰まっちゃって。8年くらい前、当時23歳の頃、大学院の博士を中退して、表参道のストリートに絵を置いて売り始めたんです。その時にあるキュレーターの人と知り合って、日本とオランダの国交400周年のイベントで日本とオランダの展覧会に参加させてもらったんですよ。その後も現代美術館の方と仲良くなって小さいグループ展に参加したりしているうちに、ジャケット用のアートを描いたりしてました。
LOAPS:アメリカに行こうと思ったきっかけは、どういうきっかけですか?
それから、なんか色々やってくうちに自分の中でも絶対海外行かなきゃダメだなって思ったのが正直な所です。でもすごく迷いましたよ。最初は学生で行こうと思ったんですが、学生ビザはお金が高くてとれない。でも、色々外注仕事やってるうちにアーティストビザ取れたので、それでニューヨークに行ったんです。
LOAPS:アメリカに行ってまずどう動き始めましたか?
ギャラリーに絵を持って行ってました。分かると思いますけど、当時絵はあまり受けない時代だったのと、写真が受ける時代、しかも大きな作品が受ける時代で。これはプレゼンのすごい基礎だと思うんですけど、スライドを12枚セットにして送るとか。全然やり方が分からなかったので、ポートフォリオにして、日本キャスティーやギャラリーマガジンを見て、とりあえずひと通りのギャラリーには送りましたね。
LOAPS:ポートフォリオを送って反応はありましたか?
反応は一度だけ。もうダメかなーと思った時に、日本人コミュニティーのフリーペーパーに作品を応募したら、表紙に使ってくれたんですよ。そこは日本人とコロンビア人でやってるギャラリーで、BRUTUSのニューヨーク特集とかによく紹介されるCAVEギャラリーという場所です。そこで住み込みで作品を作ってました。他には、グラフィックハボックと一緒にSOHOで展覧会をさせてもらったり、田名網敬一さんや宇川直宏さん達も展覧会をやったトランスプラントギャラリーでも展覧会してました。
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