LOOKERS INTERVIEW No.005 (1/2)

TOMIO KOYAMA GALLERY 小山登美夫氏
日本の現代美術ギャラリーの第一人者。まさしく日本の現代アートを牽引する存在。2005年11月にはギャラリーを清澄白河に移転、その活動範囲をますます広げている。
http://www.tomiokoyamagallery.com/
LOAPS:村上隆さんや奈良美智さんなどを世界的な作家に育てたという意味も含めて、小山登美夫ギャラリーは世界的にも有名で、ここを観れば日本のアートの動向がチェックできると言われています。そう言われるまでのレベルにどうやって成長させてきたのでしょう?
僕は昔、西村画廊にいたり、白石コンテンポラリーアートにいました。僕らギャラリストの仕事は、アーティストを探してきて、発表し、作品を買ってもらう、という事です。西村さんや白石さんのギャラリーで仕事をしてきて、独立する時に考えた事は、「とにかく海外に出なければ売る場所がない」ということです。独立する以前から、白石さんのところで村上さんや奈良さんなどのアーティストと仕事をしていて情報を得ていたので、日本だけでやっていてはダメだ、って思っていたんです。
独立したのは96年で、とにかく不景気だったんです。初めはお金も蓄えがなかったので経費を抑えるために月8万円の場所を借りて、村上隆さんや奈良美智さんと一緒に始よう、というすごく基本的なシステムで始めました。
独立したのは96年で、とにかく不景気だったんです。初めはお金も蓄えがなかったので経費を抑えるために月8万円の場所を借りて、村上隆さんや奈良美智さんと一緒に始よう、というすごく基本的なシステムで始めました。
LOAPS:村上隆さんとの出会いを教えていただけますか?
僕も村上さんも東京芸大だったので、村上さんの事は前から顔だけは知っていたんです。芸大って狭いから大体の人の顔はおぼえているんですよ(笑)。僕は芸術学科で、彼は日本画科で。芸祭(芸大の学園祭)の時に各学科で神輿を作るんですけど、村上さんは日本画で先頭に立って隊長みたいな感じでやっていて。僕は芸祭の催事委員みたいな事をしていて、学生が暴れてるのを抑える係で。その頃はほとんど話した事もなかったし、どんな絵を描いているかも知りません。村上さんも当時は予備校の先生をしていて、結構お金があったと思うんですけどね。カラオケ三昧で、バイトばっかしていたときいてます(笑)。
村上さんと直接会ったのは1990年くらいでした。僕は89年か90年に東高現代美術館(※)でキュレーターのような仕事をしていたんです。その時デヴィット・リンチの展覧会があって、村上さんがリンチが大好きで、オープニングに何とか入れて欲しいって言ってきたんですよ。デヴィッド・リンチもいい人で、お客さん全ての人にサインを書いてあげていて、オープニングが終わってからも外に立ってサインをしてくれていたんです。村上さんは何回か並んでいたと思います。
村上さんと直接会ったのは1990年くらいでした。僕は89年か90年に東高現代美術館(※)でキュレーターのような仕事をしていたんです。その時デヴィット・リンチの展覧会があって、村上さんがリンチが大好きで、オープニングに何とか入れて欲しいって言ってきたんですよ。デヴィッド・リンチもいい人で、お客さん全ての人にサインを書いてあげていて、オープニングが終わってからも外に立ってサインをしてくれていたんです。村上さんは何回か並んでいたと思います。
当時彼は大学院か、修士だったと思います。大学の資料館で博士課程の修了展をやるので観に来て欲しいと言われて、見た作品が「ポリリズム」と「カラーズ」っていうシリーズの作品だったんです。「ポリリズム」はタミヤの兵隊の模型を大きなプラスチックの表面に貼付けた作品で、結構面白くて。その時南雄介さんとか椹木野衣(※)さん達と「面白いのがいる」って話になって、みんなその展覧会をみに来ていたんです。
LOAPS:村上隆さんは当時どんな方でしたか?
デヴィッド・リンチ展で知り合ってから、彼はしきりに「プレスの人を紹介してください」って言っていて。美術にとってプレスは重要だと思っていたんだと思います。美術館で1枚の絵を観るよりも雑誌に掲載された絵を観る人の方が多いわけですよね。2つの雑誌に載ればその分だけ作品を観てもらえる。そういう事をしないと美術はメジャーになれないという気持ちがあったんだと思います。それでとりあえずプレスを村上さんに紹介したんです。そうしたら、椹木さんや雑誌の人たちに制作している情報やら様々な情報をファックスで流していったんです。「今借金がこんな…」とか、そういうのがガンガン来る訳ですよ(笑)。すごくリサーチ能力が高い人で、中ザワヒデキさんとか西原みんちゃんとか、そういった人たちとアクセスしていって、自分繋がりをつけるということを昔からやってたの。それが今は野尻佳孝さん(テイクアンドギヴ・ニーズ)とかのクラスに変わっているだけで、やってる事は昔とほとんど変わらないんです。
当時は村上さんも会田誠さんとか小沢剛さんとかを引き連れていたんです。こういう面白い作家がいるから紹介するんだ、って。六本木にあった細見画廊のオープニングに出雲大社の神主さんを呼んだり、モデルを使って細見画廊でランドセルの作品のファッションショーをやったりして、すごい人が集まっていたんです。今とやっている事は変わらないですよね。その頃僕はギャラリーを持っていないから村上さんの相談相手をしていたんです。僕も村上さんもいつかはニューヨークなんかに進出したいと思っていたけれど、ニューヨークなんて行った事ないし、どういうギャラリーのシステムになっているかなんて見当つかないですからね。白石さんや西村さんのギャラリーも、海外の作家を日本でやる事はあっても、日本の作家を海外でやるって事はほとんどなかったんじゃないでしょうか。だから日本の作家がどうやったら海外に出られるかというのは本当に解らない訳です。いつも、どうしたら世界のアートサーキットに出られるのか?という事を話していました。当時27歳くらいです。F1で言ったらどうやったらアイルトン・セナになれるのかっていう。HONDAがあって、どういうチームを組んで、どうやったらスタートラインに立てるのか。そういう話はいつもぼんやりとしていましたね。
当時は村上さんも会田誠さんとか小沢剛さんとかを引き連れていたんです。こういう面白い作家がいるから紹介するんだ、って。六本木にあった細見画廊のオープニングに出雲大社の神主さんを呼んだり、モデルを使って細見画廊でランドセルの作品のファッションショーをやったりして、すごい人が集まっていたんです。今とやっている事は変わらないですよね。その頃僕はギャラリーを持っていないから村上さんの相談相手をしていたんです。僕も村上さんもいつかはニューヨークなんかに進出したいと思っていたけれど、ニューヨークなんて行った事ないし、どういうギャラリーのシステムになっているかなんて見当つかないですからね。白石さんや西村さんのギャラリーも、海外の作家を日本でやる事はあっても、日本の作家を海外でやるって事はほとんどなかったんじゃないでしょうか。だから日本の作家がどうやったら海外に出られるかというのは本当に解らない訳です。いつも、どうしたら世界のアートサーキットに出られるのか?という事を話していました。当時27歳くらいです。F1で言ったらどうやったらアイルトン・セナになれるのかっていう。HONDAがあって、どういうチームを組んで、どうやったらスタートラインに立てるのか。そういう話はいつもぼんやりとしていましたね。
LOAPS:それでは奈良さんとの出会いはどういうものだったのですか?
奈良さんというのは、ドイツにいたじゃないですか。ヤン・フート(※)がディレクターを務めたドクメンタ9(※)で大学の頃から知っていたアーティストの平川典俊から紹介されたんです。僕と和光さん(ワコウ・ワークス・オブ・アート)が一緒に居てカフェで会ったんです。ドクメンタカフェで。奈良さんの作品は以前にもギャラリー・ユマニテとかで観ていたから知ってはいたんです。その時は「ギャラリーの人はアーティストにコーヒーをおごるべきだ」って言われておごったのをおぼえています(笑)。
その後に名古屋のアートフェアで会いました。奈良さんは白土舎から出品していて。展示の準備とかで何日も会っていたんです。僕の中で奈良さんの作品は微妙なラインだったんです。今でも彼の作品はイラストレーションって言われたりするじゃないですか。それで本人に「イラストレーションとどこが違うの?」って聞いたんです。そうしたら「僕は自分の好きなモノしか描かないよ。」って言われて。そう言われて単純に観れば、すっきり物事は見えてくるんです。イラストレーションの人はプロフェッショナルな仕事だから本とか文章があって、それについて描く事ができる人だけれど、奈良さんってそういうのはダメなんですよね。今でもダメだと思うんですけど(笑)。絵描きとして自分の描きたいものをいっぱいもっているからずーっと描き続けているじゃないですか。描く事が好きって事を考えると、面白いアーティストだなって思って。そのときつとめていたギャラリーでやろうかなって話になったんです。
その後に名古屋のアートフェアで会いました。奈良さんは白土舎から出品していて。展示の準備とかで何日も会っていたんです。僕の中で奈良さんの作品は微妙なラインだったんです。今でも彼の作品はイラストレーションって言われたりするじゃないですか。それで本人に「イラストレーションとどこが違うの?」って聞いたんです。そうしたら「僕は自分の好きなモノしか描かないよ。」って言われて。そう言われて単純に観れば、すっきり物事は見えてくるんです。イラストレーションの人はプロフェッショナルな仕事だから本とか文章があって、それについて描く事ができる人だけれど、奈良さんってそういうのはダメなんですよね。今でもダメだと思うんですけど(笑)。絵描きとして自分の描きたいものをいっぱいもっているからずーっと描き続けているじゃないですか。描く事が好きって事を考えると、面白いアーティストだなって思って。そのときつとめていたギャラリーでやろうかなって話になったんです。
注)東高現代美術館:1988−91年にかけて、東京・青山に所在した現代美術の企画展専門の美術館。高級エステートを専門に手がけていた東高不動産が設立した美術館で、実際の展覧会企画は副館長の白石正美氏(後にSCAIを設立)を中心に発案され、豊富な資金力と恵まれた立地条件をバックにさまざまな企画展を高級感溢れるイヴェントとして演出、世間の高い関心を集めた。
注)椹木野衣:1962年生まれ。美術評論家。『美術手帖』編集部を経て、シミュレーションアートを批評した『シミュレーショニズム』で91年、デビューする。以降執筆活動や、レントゲン藝術研究所でのキュレーションなどを行いながら、98年に「反=日本美術史」として、『日本・現代・美術』を刊行。日本ゼロ年展ではキュレーターとして、「日本現代美術をリセットする」というテーマを掲げ、展覧会の企画全体に関わった。
注)ヤン・フート:1936年ベルギー生まれ。75年ゲント現代美術館ディレクター就任。「シャンブル・ダミ展」(86)、「オープン・マインド展」(89)をコーディネート。総合ディレクターを務めた「ドクメンタ9」(92)は世界的に話題になった。
注)ドクメンタ:ドイツの小さな古都カッセルで1995年以来、5年おきに行われている、現代美術の大型展。世界中の現代美術を、あるテーマを設けて一同に紹介するという方針で、美術界の動向に与える影響力が大きく、世界の数ある美術展の中でも「ヴェネチア・ビエンナーレ」に匹敵する重要な展覧会の一つである。
村上隆(KaiKai KiKi HP) http://www.kaikaikiki.co.jp/
奈良美智(小山登美夫ギャラリーHP) http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/a_nara.html
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