LOOKERS INTERVIEW

SPECIAL INTERVIEW

LOOKERS INTERVIEW No.013(1/2) 



編集者/クリエイティブ・ディレクター/京都造形芸術大学ASP学科教授
後藤繁雄氏


1954年、大阪生まれ。広告制作・企画・商品開発・web開発・展覧会企画など、分野横断的に活動。数多くの写真・アートブックを制作し、インタビュアー、ライターとしても活躍。2005年に設立した京都造形芸術大学芸術編集研究センターと同大学ASP学科を中心に、ARTZONE(京都)、magical, ARTROOM(東京・六本木)の運営、artbeat(京都)の開催にも携わる。
http://www.gotonewdirect.com/

LOAPS:後藤さんはアートに深く携わった編集者としてご活躍されていますが、どのような若い頃を過ごされて今のポジションに着かれたのでしょうか?
もともと子供の頃から絵が好きだったんです。高校の頃、200号とか300号の抽象画を描いて、公募展とかで道場荒らしみたいな事をやっていました。それで賞を貰ったりすると、もう、全ての学校教育の価値観というものが合わない人間になってしまう。だから授業もみんな代返してもらう感じで、朝から絵を描いていました。ただ、それを高校生でやり過ぎると、10代で終わっちゃう。20才までに傑作を描こうと思い上がってますからね(笑)。でも高校生は世間を知らない。旅はしていないし、遊んでもいないような状態だから、外もウロウロしたいわけです。つまり、作品を作り続けているよりも、そのプロセスを作品化するというか、何か出逢うものを形にしていく事のほうがいいかな、と次第に思うようになる。
1970年の大阪万博の時に、ウォーホルなどのポップアートや(*)ヌーヴェルバーグが入ってきた。なかでも、ウォーホルの影響が非常に強くて、彼は最初ペインティングを描いていたのが、シルクスクリーン、ポラロイド、雑誌『インタビュー』、そして数々のパーティー、と色んな事をしましたよね。ああいうやり方にスライドしたいと、20歳くらいの時に思ったんです。それと、僕は印刷というメディアが非常に好きで、大学の時に他の学生がバリケードストライキで占拠している部屋に自分でシルクスクリーンの工房みたいなものを勝手に作ったりもして、ライブハウスのポスターを作ったりもしていたんです。
そういう事をやっていたので、印刷などの複数メディア的なもので、世の中に色んなものをストラテジーを発生させながら伝えるという事に興味が出てきたんです。どういうことかと言うと、「こういうものを作って受け取らせると、こういう気持ちに人はなるだろう」とか、「既存の価値観を変化させるにはどういう操作が必要なのか?」ということです。ここには非常に政治的な感覚が入ってきますよね。つまり、人の頭の中のモード、チャンネル、構造を変えれば、人は共産主義になったり資本主義になったりもする。ヴィジュアルばかりでなく同時に思想もエディットするという方向です。だから普通の文系や理系などではなくて、ヴィジュアル×思想という方向に向かっていきました。
LOAPS:アートを作る側から編集する側に移ったということですね。
自分自身でも絵を描いていたので、作り手の正義や論理といった考え方には自覚的ですから、アートを単なる編集の素材として捉えるようなことはしません。それは、やはり「力」ということに一番興味があるからでしょうね。力って、権力ではなくて、様々なものが持つ人を惹き付ける魅力のことです。例えば美しい夕日や美味しい食事は人の感情をかき立てます。同様に芸術も、作品の古い新しいに関係なく、人を惹き付ける力がある。その力が生成・フィックスされていくプロセスと現場に興味があるんです。だから取材をしたり、インタビューをしたり、編集したりする、つまりフィールドワークする。単に職業としての編集者になりたいという考え方は最初からないですね。人の才能や作品が力となるそのプロセスに、10代の頃からずっと興味があるんです。あと、人間というのは非常に不思議なもので、さっきまでこう考えていたとしたら急に何かのきっかけで違う事を言い始めたりする薄気味悪いものだから、そういうものをフィールドワークして調べるみたいな事を編集を通して今もやっているのだと思います。



LOAPS:後藤さんは教育者として現在、(*)京都造形芸術大学のASP学科長として教えてらっしゃいますが、今の若い学生、アーティストの傾向などはありますでしょうか?
まず、どうして、現役の編集者でありつつ、先生をやっているんだということがありますが、先生というのはある意味、アカデミックな方法論や知識なんかを教えるものです。教育には、自分が学習して蓄積してきたものを教えるという側面は確かにあるけれど、基本的に学生が必ず主役であるべきという意識が僕にはすごくあるわけです。若い才能の方が必ず未来があるわけだから。それで、我々が学生にとって必要なものを集めたり指示するというのが基本的な考え方です。と同時に、学生は若くても社会人です。だから社会で生きていくための視点でサポートする必要がある。だから、僕はアカデミズムで権威的にやる人にはものすごく反発があって、大人の人でも叱ります。それは意味がないどころか害だと思っていますから。
それから、才能のあり方ということなんですけど、人間の内面があって主体があるということに僕は始めから疑問に思っている人間なので、ある種、主体と価値観というのは、人工的に作るもの、ねつ造するものだと思っています。でも、それは丁寧にやらなければいけない。植物と同じで、毎日話しかけて丁寧に水をやっていれば、芽はどんどん育つわけです。ですから、飼育ではないけれど、丁寧に育てることがまず基本です。極論すれば、僕は、病人であってもその病気をエネルギー源として生きていけるのであれば、その人にとってその病気は非常に重要なものだと思います。アウトサイダーアートはその典型です。今の世の中、人間の想像力の中に、グレーゾーンがいっぱいあるわけです。例えば不定形なものをある種の新しい価値系体にして、世の中に訴えかけるのが、今後の芸術の有り様だと思います。ですから産業としてアートは非常に有望な分野です。他の分野は非常にマーケティング主導のスタンスで作られてますが、芸術の場合、違うんです。非常に不定形なもの、新しい価値系体が商品化されるわけですから。例えば、ある作家の作品が30年前では30万円だったのに、今は2000万円でもするという現象は、他であれば、株とか不動産ぐらいですが、そういうものよりずっと面白いわけです。ですから、そういう力というのは、どの形にすれば生成、成立されるかということです。そこの環境的な仕掛けをどうすればいいかに非常に興味があるんです。若い人は可能性の中から生まれてきた様な芽なので、大人と言うか私達のような人は非常に丁寧に接する必要があると思います。だから、常に様々な提案をしたり、ささやいたりしながら、才能がちゃんと成長していくのを見守らなければ大きな芽は出てこない。そういった時代になってきているのではないか、と僕は感じています。
LOAPS:今、学生を教育していく上で、若い人達に、「これは足りなんじゃないか?」と思うことはありますでしょうか。
ケチケチしちゃ駄目ですよね。才能が出る間はドンドン出させるように働きかけることです。
LOAPS:ケチケチせずにドンドン作れと。
そうだと思います。作る環境というのは、例えば、心の中に「暗いもの」が無い人はすぐ枯れちゃいます。石油とか石炭の埋蔵量が少ない人というのは、すぐに無くなるんです。その経験もさせなきゃいけない。ただ、昔のように、内面の苦しみや自我の葛藤のようなものがないと表現できない、という事とは全然違う。音楽なんかは、昔だと名人芸やギターの早弾き、エモーションやパッションというものが必要でしたが、この10年はサンプリングやDJが既に作られたものをリミックスして作っていて、それももうほぼ終わっています。逆に今はリミックスの中に種がいっぱいあり、そこからオリジナルなものが虚像の様に出てくるわけです。虚像としての天才とかいうものが出てくる感じがしますね。
僕のそういったビジョンに当てはまる人が果たしているかなと思うんです。こんな奴はいるかな、あんな奴はいるかなって、いつもウロウロしています。ですから、僕は別に教育者ではなくて、ないものねだりのフィールドワーカーかもしれません。学生というプールの中に入っていき、そういう奴が「いたじゃん!」となると、俄然やる気出てガーーッとインプットするわけです。ただ、あんまり強いディレクションすると死んでしまいますからね。
僕はアートに関して、今のところは、ビジネス的なマネージメントはあまりする気はないので、才能を発見して活用すること自体が喜びなもんだから、人材を見つけた時は、その後は基本的に別の人に託すというようにしているわけです。
LOAPS:実際、沢山いる学生の中で、どういった人がチャンスをつかんでいくとお思いでしょうか。
どうでしょうね。これは僕の編集の持論なんですが、まず基本は、作り続けていくことはすごい必要なんです。例えば(*)荒俣宏という人がいて、荒俣さんには僕が最初に『帝都物語』を書いたらと言ったのですが、荒俣さんは一晩で30枚くらいの原稿を夜の喫茶店で書く人でした。書ける人は誰かが上手にディレクションすれば必ずベストセラー作家になることができる。書けない人は無理なんです。同じですね。他の人はこういう表現をしているから、俺はこういうふうにやると何て言われるだろうとか、人に見せないようにしようとか、それってケチ臭いわけです。そういう人もあまり伸びないと思います。やっぱり、他人に対して素直で、オープンな人の方がいい。人というのは、自分と他人の境界線が最初のうちは怖いから、バリアを張るわけ。だけど、人のものを自分のものにしていかない限り、心に石炭や石油が無い人は大きくはなれません。ちょっと前まで人が良いと言っていたことも既に自分が考えたことの様に言う人っていますよね。そういう人の方が良いぐらいです。



注)ヌーヴェルバーグ(Nouvelle Vague):1950年代の末から1960年代にかけて起こったフランスにおける映画運動。ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーなどの監督が有名。

注)京都造形芸術大学のASP学科:後藤氏が学科長を務める京都造形大学の芸術表現・アートプロデュース学科。鑑賞者研究プロジェクト「ACOP」の実践、アートと音楽の融合イベント「ARTBEAT」、企業が主催するアートコンペ「ARTJAM」の運営などさまざまな活動を行っている。

注)荒俣宏:作家・博物学研究家。1947年東京生まれ。評論、翻訳、小説、博物学、神秘学などジャンルを越えた執筆活動を積極的に続け、数百に及ぶ著書を著す。代表作に350万部を超える大ベストセラーとなった『帝都物語』がある。





Copyright (C) 2005-2007 LOAPS. All Rights Reserved