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LOOKERS INTERVIEW No.014(1/2) 



美術評論家 市原研太郎氏


1949年生まれ。京都大学卒業。80年代後半より美術評論を始め、BTなどの美術雑誌、新聞、展覧会カタログに幅広く寄稿。京都造形芸術大学教授も務める。主な著書に『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』、『シグマール・ポルケ ―理念なき崇高―』、『マイク・ケリー ―過剰の反美学と疎外の至高性―』がある。また、六本木のギャラリーmagical, ARTROOMの運営にも携わる。

LOAPS:まず美術評論家になった経緯についてお話いただけますでしょうか。
僕はもともと、学生時代でも現代美術はおろか、美術にも興味が無かった人間だったんです。専攻は美術でも文学部でもなく、理系、しかも工学部に籍を置いて勉強していました。美術に対して無知であったし、門外漢であったし、興味も無かった。本は好きだったのですが、哲学書や理論書などを含めて、美術とは全く関係ないものを読んでいました。僕の学生時代は、60年代から70年代にかけての学生紛争の頃で、全く授業が無くなるとか、そういう時代でした。その中で、自分自身の将来を考えてはいたのですが、それでもなかなか自分の生きるべき道というのは見つからない状態でした。
おそらくこのインタビューを読まれる方は、基本的に美術をやろうと志している若い方なので、僕よりはずっと早くその道に入る決断をした方だと思うんです。だからそれなりの決意や覚悟があると思うので、僕から見れば非常に羨ましい。スタートラインが非常に早い時期からあって、それに対して準備と努力をやっていけば、自ずと道が開けると思うのです。
ちょっと説教臭くなってしまいますが、アートは、もはやマスター、天才と呼ばれるような人は、一人もいないような時代なんです。なぜかというと、今のアートは大衆化しているんです。大衆化しているということは、誰でもできる、誰でも見て楽しめるということです。これが今の現代美術の状況なんです。ただ、残念だけど、日本においてはそうではなく、いまだに一般大衆からアートが遠ざけられているような状況です。でも、それは徐々に改善されると思うし、変わってくると思います。美術、特に現代アートに対して、難しいとか分からないとか、高尚だといった意識を持つ必要はないと思うんです。つまり、一般の人で美術に関心を持った人がたまたま、美術の世界に入って、制作者になったり、美術関係の仕事に就くということになると思うんです。僕なんかは、そのはしりだったと思います。僕自身の美術の素養を簡単に言えば、作品を見てないし美術に関する本も読んでいたわけでもない。つまり専門的に美術を勉強したわけではなかったのです。
LOAPS:では、何が市原さんをアートの世界に引き込むきっかけになったのでしょう?
たまたまパリに行く機会があったんです。その時代のパリには大したものは無かったけれど、パリ・ビエンナーレという現代美術に触れる糸口があった。70年代後半までパリにいたので、その(*)ビエンナーレを観にいく機会があって、見た瞬間に、「これだ!」という衝撃を受けたんです。その頃、僕はまだ20代の中頃で若かったので、「同じ考えを共有できる人たちが作品を作っている!」という直感がありました。
美術を全く知らなかった僕にとって、共感できるものが目の前にあって、それを作っている人間が同世代、もしくは少し上の世代の若いアーティストだったわけです。同時代の人間が、考え方や感性を共有できるものが現代美術だと僕はそのとき確信しました。それで、考え方と感性を共有しているのなら、自分もアーティストになりたいと思ったのです。

もちろん勉強してなかったので知識も何もありませんでしたが、見よう見まねで、一番最初はドローイングのような事を身の回りにある素材を使って始めるわけです。面白い作品ができたなって思ったら、パリの画廊なんかに見せにいったりしました。真摯に見てくれたり、それなりの評価をしてくれる画廊もあったのですが、展覧会の開催まではこぎ着けないという感じで、そのうちに日本に戻らざる得なくなって帰国したんです。
当時、日本では今のような現代美術の(*)コマーシャル・ギャラリーというのが1つもない状況で、とりあえず銀座にある貸画廊で展覧会をしました。何回かそういう形でやったんですけど、非常に現代美術の世界が閉ざされていて、展覧会をしても関係者や知り合いしか来ないのです。なおかつ貸画廊というシステムと銀座という地理条件のため、展覧会を開くのに凄くコストがかかるんです。それを何年かやっていましたが、やはり先が見えてくる。当時の日本の現代美術の世界は、ある意味閉塞的だっていってもいいくらい暗澹たる状況でした。そういう状況の中で行き詰まって、僕はアーティストになる事を諦めたんです。

だけど、「この道を生きるべきだ」、と初めて思ったのが美術だったんです。美術の世界にいたかった。それで試行錯誤していく中、80年代後半に美術手帖の編集者に偶然出会ったんです。書く事と美術を結びつける仕事というのは評論だろうと思いまして、そういう事をやりたいと希望を出したら、一度書いてみないかと言われ、文章を載せてもらったんです。それから徐々にいろんな所で書けるようになり、90年代を通して美術界の中では名前を知られるようになった。それが僕の歩んできた道です。
評論家になった以上、時代性を共有したという原体験の記憶が残っていますし、僕が現代美術を始めるオリジンとなっていますから、こういった方向性で現代美術を観ていきたいし、広めていきたいという希望があって、書く事を始めたわけです。



LOAPS:アーティストとしての駆け出し時代から、美術評論家として活躍されるまで、苦労された点はなんでしたか。
まず、作品が売れないので全く食っていけない。70、80年代は現代美術は社会的にも認知されていないから、作品が売れるということはなかったので、生活すること自体が大変でした。その時代に現代美術のアーティスとして生活できた人はほとんどいないですね。物質的、経済的、時間的に苦労があった。
同時代に活動していたアーティストたちは、とりあえず海外で認められて、美術館に招待されて活躍できた人を除けば、残っている人はほとんどいません。日本には、現代美術のアーティストの生活が成り立つための経済的な基盤はなかったのです。
僕がヨーロッパから帰国して来た頃は丁度、(*)「もの派」というムーブメントの終わりの頃で、「ポストもの派」が出始めた頃でした。だから「もの派」の人たちは残っていましたし、展覧会などでも注目もされていたので、作品も売れていたりもしたと思います。しかしその直後の世代(ポストもの派)に関してみますと、ほとんど残っていた人もいないと思います。
全く違った発想とはいえ、(*)川俣正にしても(*)宮島達男のデジタルカウンターを使う前の初期の作品なんかも知っていますけど、「もの派」の域を随分突き抜けていました。そういった時代を踏まえながら、また新たに時代を乗り越えて展開していくものでないと残ってこられなかったのではないかと思います。それが最終的にアーティストとしてやっていくのも不可能になった理由です。もちろん才能もなかったということも自分も認めますけどね。
LOAPS:アーティストとして生きていく事をやめて、美術評論家になられたわけですが、それはそれでアーティスト以上に難しい道だったのではないでしょうか。
アーティストと違い、書くということは、出版社に勤めたりしてバイトができるわけです。美術館とか画廊に展覧会を見に行く時間も取れる。書く方が創る方よりは二重、三重の苦労はないと思います。紙と筆、今だったらパソコン1つあればいいわけだし、経済的、物質的な点においては、書く方がアーティストよりもなりやすい。
しかし書く人間っていうのはそれほど求められてないんです。評論家と呼ばれている人間というのは、10年に4、5人くらいの人数しかいない。アーティストだったら10年に2、30人、今の時代だったら50人くらいいればオッケーですよね。
需要と供給の関係でいえば、アーティストに対する需要の方が高いので、なれる確率は高いかもしれませんが、生活苦といったことをいえばアーティストの方が大変だと思います。それと、書き手は書く才能も必要ですが、理論的にもしっかりしたものでないといけません。その為に知識というのは大切ですね。それはアーティストも同じです。アーティストは直感半分、理論半分ですから、勉強ができないといけないとは言いませんが、書き手の人間は絶対に勉強が必要ですね。僕は大学時代に勉強してなかったので、評論家として出て来られるまでには、勉強をするのに多くの時間がかかりました。
LOAPS:日本の美術界の転換期、日本の現代美術が現在の様に注目される様になった理由などを教えてください。
日本における現代美術の世界は、80年代から90年代にかけて大きく変化しました。その分水嶺となったのが奈良美智と村上隆です。奈良も村上も海外で認められる、という意味ではそれ以前に出てきた現代美術のアーティストと同じでした。しかし、彼らの扱っている素材が、日本のオタクやサブカルチャーなどの現代文化に根付いたもの、という点で大きく異なるんです。そういった文化に根ざし、拾い上げた素材を表現する事によって、海外の現代美術に関心のある人たちが、日本の現代美術だけではなく、日本の文化に関心を抱く、という良い意味でのフィードバックができ始めたのです。簡単に言うと90年代から始まった(*)多文化主義が、美術作品とそのバックにあるカルチャーがグローバルに展開をしていく事になったのです。

その1つとして日本が持っている大衆文化は非常に強力で、世界中見渡してもこれだけ強力なものはないと思うんです。なぜ強力かというと、日本の大衆にとって、高尚文化としての美術というものがあまりにも弱かったので、それを補うもの、例えば欧米だとファインアートに向かうはずのエネルギーが、大衆/若者文化に向かっていったんです。そこでの力というものはアニメにしてもマンガにしても、それ意外の(*)アラーキーが使っているエロにしても、森万里子が使っているような新宗教にしても、非常に強いものがあった。
アーティストはそれをそのまま切り取って作品にし、世界に出したとき、素材の持っている力だけで訴えかける力があって、広まって行くという非常に有利な地点にあった。それを全く知らない世界の状況があったので、90年代を通してそれが一気に広まって行く。その中で様々なアーティストが日本の文化の一部を自分の作品の素材とし、加工を加えて外に出した場合、インパクトが強いものが出てきて、90年代の多文化主義的なコンテクトの中に非常に大きな注目を浴びるようになるんですね。これが日本現代美術が90年代に成功した第1の理由です。
世界の現代美術の状況がまさに多分化主義、つまり文化的な多元性を認めて、それぞれの文化の特色が活かされたというか、出てくるような作品に対する注目が非常に高くなったわけですね。だから90年代を通して、文化的パワーそのものが強い日本の美術表現が認められたわけです。

それともう一つは中国ですね。中国は西側の世界が全く知らない文化を育み、それを背景にしたアーティストのパワーというのが強いんです。中国のアーティスト、そういった日本のアーティストが世界的に注目を浴びるのは当然だったと思うし、それなりに名声を勝ち得るアーティストが出てきた。今や現代美術の中心の一つとなっているといってもいいと思うんです。非常に強い現代美術の世界の中心が日本、中国にあると思うんです。

それで、僕は出てきた作品を評論家として世界中に広めるという使命も義務もあると思っています。大きな力を持ってないかもしれませんが、そうすることは必要だと思っています。ただ、作品を押し出していく時に、原体験としての「同時代性」、まず自分が共感できるものが最初に条件としてあるので、すべての日本の現代美術、特に90年代以降、あるいは20世紀に入って出てくるアーティストがいいとは思いません。
それは、どんな評論家でも限界があり、ある種の主観的な選択があり、それぞれの評論家で戦略もあると思うので、僕もそうなんですが、全てのアーティストを取り上げるわけでは決してありません。そういう意味において、原体験の延長線上にあるようなものが重要になってきます。僕の原体験は何かといいますと、「自由」なんです。作品を通して自由を感じられるもの、自分自身が解放されるもの、世界がより大きく広がるもの、これなんです。
同時代において、どういう作品に出会った時に自由を感じるか。それによって取捨選択をしています。いろんな画廊を通してとか、マジカルを通してのアーティストを選択する場合にも、まず直感として、現代においてその作品から自由を感じるか、僕だけでなく、周りにいる人間、共同体、社会、そういったものを解放してくれる何かのきっかけがあれば積極的に取り上げていきたいと思っています。



注)コマーシャル・ギャラリー:いわゆる貸し画廊がアーティストからレンタル料を受け取り、スペースを提供するのに対し、企画・作品販売を活動の基盤にしているギャラリー。欧米では一般的なコマーシャル・ギャラリーだが、日本で本格的に出てきたのは90年代に入ってからである。

注)ビエンナーレ:2年に一度開かれる美術展覧会のこと。ローカルなものから、世界各国からアーティストが集まる国際的なものまで様々なビエンナーレが存在する。代表例として、100年以上の歴史を持つベネチア・ビエンナーレがある。

注)注)もの派:1960年代末から70年代初頭にかけて大きな注目を集めた日本の美術運動。未加工の自然的物質、物体を、素材としてではなく主役として登場させ、そこから芸術表現を引きだそうと試みた運動。後の世代に大きな影響を与え、海外での知名度も高い。

注)川俣正:現代アーティスト。1953年生まれ。70年代後半から発表活動を開始。廃材で建築物を覆う作品など、都市への鋭い批判を示す大規模なインスタレーション作品で知られる。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/

注)宮島達男:現代アーティスト。1957年生まれ。「それは変化し続ける」「それは永遠に続く」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」という3つのコンセプトのもと、発光ダイオードのデジタルカウンターを用いた作品を発表し、国際的な評価を得る。近年はネオン、液晶、パフォーマンス等、表現のメディアは多岐に渡っている。
http://www.tatsuomiyajima.com/

注)アラーキー:荒木経惟。日本を代表する写真家。世界的に高い評価を得ている。
http://www.arakinobuyoshi.com/

注)多文化主義:マルチカルチュラリズムのこと。社会は、異なる文化を持つグループが「対等な立場で」構成するべきだという考え方または政策。




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