LOOKERS INTERVIEW No.015(1/2)

ギャラリー小柳 代表 小柳 敦子氏
婦人画報社、米国カリフォルニア州ロサンゼルスアートセンターカレッジオブデザイン留学を経て、キチン(小池一子主宰)勤務。1983年、佐賀町エキジビットスペースの立ち上げ、企画・運営に携わる。
杉本博司展(1988)、内藤礼展(1991)など多くの展覧会を開催。1995年、銀座にギャラリー小柳を設立。銀座のスペースの他にも、2002年に大型作品のヴューイングスペースとして新川のギャラリーコンプレックスにギャラリー小柳ヴューイングルームをオープンさせるなど、複数のスペースでの活動を展開する。
2005年2月、銀座のスペースを現在の場所に移転。その他、アート@アグネスを企画するなど、日本のコマーシャルギャラリーの中心的人物である。
ギャラリー小柳
http://www.gallerykoyanagi.com/

アグネスホテル社長千賀氏と小柳氏
LOAPS:今回は「アート@アグネス」という形で、小柳さんが企画されたアートフェアが開催され大好評でした。ホテルの部屋をギャラリーブースにしたこのアートフェアはどのような経緯で開催されたのでしょうか?
今回のアートフェアは実際にはレントゲンヴェルケの池内さん達が中心になって動いてくれたのですが、あるきっかけから、私が言い出しっぺとして企画したものでした。あるきっかけというのは、実はこのアグネスホテルの経営者である千賀社長と幼稚園、小学校時代の同級生だったのです。所謂都内の下町の小学校でした。大人になって彼はバリバリの商社マン、私はギャラリーをやっていたので、クラス会ぐらいでしか顔を合わせていませんでした。でもある日、千賀さんがお父様のホテルを継ぐ事になり、千賀社長からの「絵を貸して下さい」という依頼があったのが始まりでした。
ホテルを盛り上げていく上で、海外で行われているホテルでのアートフェアのアイデアを出したところ、即決で開催が決まったんです。
ホテルを盛り上げていく上で、海外で行われているホテルでのアートフェアのアイデアを出したところ、即決で開催が決まったんです。
LOAPS:非常に多くのお客さんが来て、まさに大盛況ですね。
今までは招待制でしたけど、3回目の今回はラジオのJ-WAVEでの中継があった影響か、予想以上の集客でした。

アート@アグネスの会場からJ-WAVEの中継があった。インタビューを受ける小柳氏

アート@アグネスの会場からJ-WAVEの中継があった。インタビューを受ける小柳氏
LOAPS:今でこそ、日本を代表するギャラリストとして小柳さんは有名ですが、そもそも小柳さんは、最初はどのようにしてアートに興味を持たれたのでしょうか?
アートというか、ビジュアル、目に見える物に興味を持っておりました。世の中には、音楽が好きな人や、芝居が好きな人など色々ですが、私がビジュアル・アートに興味を持ったのは、銀座で生まれ育ったのが大きいのかも知れません。学校に行くときも買い物に行くときも、奇麗に飾り付けられたショーウィンドーがあるなど、常に東京のビジュアル・カルチャーが生活にあったからだと思います。そんな中、私も将来ビジュアルに関わる仕事をしていきたいと考えるようになりました。
その後、実際にアートに関わるようになったのは、(※)小池一子さんの事務所に編集者として入ってからです。小池さんのもとで、パルコや西武などの様々な展覧会企画に関わってきました。本格的に現代美術と向かい合うようになったのは、(※)佐賀町エキジビットスペースでした。たまたま佐賀町に面白いスペースを見つけて、そこで企画展をしましょうという事になり、急遽付け焼き刃で現代美術の勉強を始めたような感じでした。
その後、実際にアートに関わるようになったのは、(※)小池一子さんの事務所に編集者として入ってからです。小池さんのもとで、パルコや西武などの様々な展覧会企画に関わってきました。本格的に現代美術と向かい合うようになったのは、(※)佐賀町エキジビットスペースでした。たまたま佐賀町に面白いスペースを見つけて、そこで企画展をしましょうという事になり、急遽付け焼き刃で現代美術の勉強を始めたような感じでした。
LOAPS:小池さんの元で、まさに当時のアートの最先端を走られてわけですね。
当時のアートというのは今よりももっと美術美術した世界でした。そんな中、小池さんのもとでは、美術、写真、建築、ファッション、デザインなど、ありとあらゆる要素を股にかけて多くの企画を体験してきました。今でもうちのギャラリーに建築やデザイン系の要素があるのは、当時の経験によるものが影響してるのでしょうね。特に写真に関しては小池一子さんの事務所で働く前に婦人画報社の雑誌編集部にいた事もあり、その時代に多くの写真と写真家に接する事で、写真を評価していくトレーニングになったと思います。同時に時代をどう捉えるかなど、その編集者時代に培ったものが大きな経験となっています。
LOAPS:佐賀町時代に(※)杉本博司氏に出会ったという事を聞きましたが、どのような形で知り合ったのでしょうか。
1978年頃、(※)松岡正剛さんが編集をなさっていた「遊」という雑誌に杉本さんの「劇場」の作品のシリーズが載っていたんですよ。当時はタイトルに「オーメン」などの映画のタイトルがついており、映画を長時間露光で撮影したという事が分かりました。(現在は「Avalon Theatre, Catalina Island」など撮影された劇場の名前がタイトルとなっている。)それまで写真を扱う仕事をしておりましたが、今まで見た事のない作品だったので、非常に感銘を受けました。でも彼がNY在住という事を知り、半ば諦めかけていたんです。それから丁度10年後の1988年、佐賀町に杉本さんの個展の企画が舞い込みました。そのときに、杉本さんにとっての初作品集「SUGIMOTO」を共に編集し、杉本さんのアーティストとしての幅の広さに魅了されました。
LOAPS:その後、杉本さんはアーティストとして大成功を収めていったわけですが。
1つにタイミングがよかったという事があります。その頃(90年前後)、(※)シンディー・シャーマンや(※)ナン・ゴールディンなど、写真がアートとして写真専門の美術館などではなく、一般の美術館にも収蔵されだして、アートとして正当に評価されだした時期だったのです。
LOAPS:佐賀町エキジビットスペースの後、ギャラリー小柳として独立されたわけですが、ギャラリーを運営されてからどのようなご苦労がありましたか?
やっぱり、作家と共同でプロジェクトを組み立てていくのが醍醐味です。作家の主張や能力を現実の展覧会として実現させていくのには多くの苦労がありますが、その苦労があるからこそ、喜びがあるんだと信じております。また、私はコレクターよりも、いつも作家の方を向いてしまうのですが、そうやって真摯に作家といい仕事をしていけば、自然とコレクターが興味を持ってくださるんだと思います。
注)小池一子:クリエイティブディレクター。武蔵野美術大学造形学部教授。1976年、編集、デザイン、美術展企画スタジオ 株式会社キチン設立。ファッションからデザイン、美術のディレクションからキュレーションまで幅広く活動。
注)佐賀町エキジビットスペース:(1983〜2000年)小池一子氏をディレクターとして設立されたアートスペース。現代美術を中心に大竹伸朗、森村泰昌、杉本博司、内藤礼などの展覧会が開催された。
注)杉本博司:現代美術作家。アメリカ・ニューヨーク在住。写真を中心に美術作品を制作。その厳密な概念を重視した作品は、独特な世界観を抽象的かつ無限に本質を追求しており、世界中から高く評価されている。特に「海景」と「劇場」シリーズが最も知られている。現在、世界でも最も評価の高い現代美術作家。
注)松岡正剛:編集者。1971年に工作舎設立。雑誌「遊」を創刊。「オブジェマガジン」と称し、あらゆるジャンルを融合した独自のスタイルは日本のアート・思想・メディア・デザインに多大な衝撃を与えた。その後、長年培ってきた編集的世界観に基づき確立した「編集工学」をもとに、2000年6月、世界初のインターネット上の学校「ISIS編集学校」を設立し、校長に就任。
注)シンディー・シャーマン:現代美術作家。1977年から室外で制作されたモノクロ写真による“アンタイトルズ・フィルム・スティール"シリーズで名声を得る。 50年代のハリウッドB級映画の ワンシーンをアーティスト自身が演じ、マリリン・モンローやソフィア・ローレン など出演女優そっくりに扮装して撮影されている。
注)ナン・ゴールディン:現代美術作家。セックス、ドラッグ、エイズ、ドラッグ・クィーンといったモチーフを扱った写真を撮る。スキャンダラスなテーマに対する関心にとどまることなく、表現としてきわめて高い評価を獲得するにいたっている。
注)小池一子:クリエイティブディレクター。武蔵野美術大学造形学部教授。1976年、編集、デザイン、美術展企画スタジオ 株式会社キチン設立。ファッションからデザイン、美術のディレクションからキュレーションまで幅広く活動。
注)佐賀町エキジビットスペース:(1983〜2000年)小池一子氏をディレクターとして設立されたアートスペース。現代美術を中心に大竹伸朗、森村泰昌、杉本博司、内藤礼などの展覧会が開催された。
注)杉本博司:現代美術作家。アメリカ・ニューヨーク在住。写真を中心に美術作品を制作。その厳密な概念を重視した作品は、独特な世界観を抽象的かつ無限に本質を追求しており、世界中から高く評価されている。特に「海景」と「劇場」シリーズが最も知られている。現在、世界でも最も評価の高い現代美術作家。
注)松岡正剛:編集者。1971年に工作舎設立。雑誌「遊」を創刊。「オブジェマガジン」と称し、あらゆるジャンルを融合した独自のスタイルは日本のアート・思想・メディア・デザインに多大な衝撃を与えた。その後、長年培ってきた編集的世界観に基づき確立した「編集工学」をもとに、2000年6月、世界初のインターネット上の学校「ISIS編集学校」を設立し、校長に就任。
注)シンディー・シャーマン:現代美術作家。1977年から室外で制作されたモノクロ写真による“アンタイトルズ・フィルム・スティール"シリーズで名声を得る。 50年代のハリウッドB級映画の ワンシーンをアーティスト自身が演じ、マリリン・モンローやソフィア・ローレン など出演女優そっくりに扮装して撮影されている。
注)ナン・ゴールディン:現代美術作家。セックス、ドラッグ、エイズ、ドラッグ・クィーンといったモチーフを扱った写真を撮る。スキャンダラスなテーマに対する関心にとどまることなく、表現としてきわめて高い評価を獲得するにいたっている。
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