LOOKERS INTERVIEW No.016(2/2)
LOAPS:ART iTは様々なアート情報が載っておりますが、どのようなところに重きを置いていますか?
よく誤解されるのですが、基本的にART iT は批評でもレビューでもなく、プレビューがほとんどなんです。何故かというと、一次情報が少なかったからなんです。まずは、こういう展覧会が始まるという情報を読者に届ける必要がある。作家が何かを作る、面白かったら褒める、つまんなかったらけなす、不備があったらそれを指摘する。作品が攻撃にさらされた時、的外れだった場合には援護し、必要があれば理論的な枠組みなどを与える。そうやって作家を支えたり、はげましたり、必要であればしかったりと、アメとムチを使い分けていい作品を作らせるのが批評家の役割だと思うんです。
リアルトーキョーもART iTも悪いけれど作家の為ではない。読者の為のものです。僕は最初からオーディエンスの方に目を向けていたいし、オーディエンスの為にありたいと思っている。作家だって自分の作品以外はオーディエンスだからね。
リアルトーキョーもART iTも悪いけれど作家の為ではない。読者の為のものです。僕は最初からオーディエンスの方に目を向けていたいし、オーディエンスの為にありたいと思っている。作家だって自分の作品以外はオーディエンスだからね。

(※)GEISAIで審査員をやったんですが、見に行って相当がっかりした。自分のオリジナルだと信じ込んで出している作品があったんですが、それはとっくに誰かがやっているっていうのが多々あったんです。この責任は2つ上げられて、1つは本人の勉強不足、もう1つは情報が十分に与えていない我々メディアの責任です。海外のアートフェアなんてお金がないと当然行けないわけだから、それをフォローする役割もジャーナリズムにはあるんですよ。作家に言いたいのは、勉強もしないでオリジナリティーって言ってもそれは単なる独りよがりにすぎないという事。独りよがりは自由ですが、「人と一緒によがりたいんだったら、相手の事も考えろよ」と言いたかったですね。アーティストは、あえて難しい獣道を選んだわけだから、それは偉いとは思います。「売れなかったらどうしよう」っていう恐怖に苛まれながら生きているわけですが、でも悩みやトラウマがあって生きているのは作家だけではない。そしたら最終的に何が目標かってことですよね。アーティストの場合は、美術史に名を残し、これまでになかった表現方法を人類の芸術文化史に刻み込むってことでしょ。そこまでやろうとする高い志があるなら、他人が何をやっているかやっぱ知ってないとね。僕は見る者として言うと、これまでに見たこともないものを見たいし、聞いたことないことを聞きたいのです。人間の心理の淵源みたいなものと、その限界を知りたいわけですよ。例えば、(※)ドストエフスキーは1世紀も前に幼児虐待から近親殺しまで全部書いている。それは素晴らしい文学者としての先見の目があるわけですね。今、同じような作家がいても、現代ってものを捉えたらそこに意味はありますが、文学史にドストエフスキーは永遠に名が残るけど、同じ事をやったその人の名前は残らないよね。そこに意味はないとは言わないけれど、本当に志があって、「ドストエスフキーに並ぶんだ」って奴がいたら、それはドストエフスキーを読まずに書く訳にはいかないでしょう。
LOAPS:小崎さんが注目している最近のアートの流れとは何ですか?
「白」と「落ちる」ということです。(※)カート・ヴォネガットが唱えた「芸術家は炭坑のカナリヤである」という有名な理論があります。昔、炭坑夫は炭坑にカナリヤを連れて行き、一酸化炭素は人間には感知できないけれども、カナリアは敏感に感知する、炭坑につるした篭のカナリヤが倒れたら、危険が迫っているという兆しで、それを見て人間は避難した。ヴォネガットは芸術家をそれになぞらえたわけなんです。炭坑は社会とか世界のたとえであり、作家は社会におけるカナリヤ、つまりアンテナの役割を果たすべきである。危険が迫ったら未来を先取りして、それを表現に表す。ヴォネガットが言うように、全ての表現者、芸術家に当てはまることだと思うのです。では、現代の我々にとっての「炭坑」はどんな「炭坑」か。ここ10年くらいのことでいうと、インターネットの広がりに象徴されるようなグローバリゼーションですよね。国際展のテーマにもよく取り上げられますが、まだまだいろんな意味で重要です。グローバリゼーションが生じさせた格差も含めて。非グローバリゼーション世界っていうのもまだあるし。
もう一つは9.11ですよね。あれで浮き上がってきたものがあります。グローバリゼーションとは逆で、閉じこもってしまう、個人で言うとニートとか引きこもりとか。そんな問題があれば、自分のトラウマとかにこだわって作品を作るのも当然で、それは肯定も否定もできないんだけど、僕は同じ時代に起こっている事に敏感な作家は良いと思いますね。その中に置いて目立っているのが「白」と「落ちる」というものなんです。
たとえばNY在住の香港人アーティスト(※)ポール・チャンに、「ファーストライト」というプロジェクション作品があります。風にさざめく木の葉などが影絵的に映されて、非常に叙情的で綺麗なんですが、そのうち、いろんなものが上から落ちてくる。その中に、人がいるんですよ。明らかに、ワールドトレードセンターから飛び降りざるを得なかった人達です。
それから(※)渡辺豪さんのビデオ作品にも人が落ちてくるものがあったり、中国の若手ビデオ作家にも落下がモチーフになっている作品があったり、これはこの時代の、ある種のカナリヤ的な表現であると思います。みんないい知れない不安、自分がどこにいるか分からない、いつ足下が崩れさるかわからない不安があるからこそ出てきた用語で、潮流っていうものかもしれないと思いますね。
それから白ですね。(※)長谷川祐子さんもおっしゃっていましたが、今的なミニマリズムと対応する形で、モノクローム的な表現っていうのはどの時代にもありますが、この時代また顕著になってきていますね。渡辺さんのCGの写真作品は、非常に(※)ネオテニー的で、しかも(※)アルビノっぽかったりする。(※)さわひらきさんも、モノクロのビデオ作品が多く、小さな飛行機を飛ばすのが特徴的ですが、そこにも落ちることの不安を含めての浮遊感が表れていると思います。そういう浮遊感や、不安による怖さ、地に足が着いていない感じ。全体ではないですが、ある種の敏感なカナリヤ達の特性かなって思いますね。現代のある部分を象徴していると思います。
たとえばNY在住の香港人アーティスト(※)ポール・チャンに、「ファーストライト」というプロジェクション作品があります。風にさざめく木の葉などが影絵的に映されて、非常に叙情的で綺麗なんですが、そのうち、いろんなものが上から落ちてくる。その中に、人がいるんですよ。明らかに、ワールドトレードセンターから飛び降りざるを得なかった人達です。
それから(※)渡辺豪さんのビデオ作品にも人が落ちてくるものがあったり、中国の若手ビデオ作家にも落下がモチーフになっている作品があったり、これはこの時代の、ある種のカナリヤ的な表現であると思います。みんないい知れない不安、自分がどこにいるか分からない、いつ足下が崩れさるかわからない不安があるからこそ出てきた用語で、潮流っていうものかもしれないと思いますね。
それから白ですね。(※)長谷川祐子さんもおっしゃっていましたが、今的なミニマリズムと対応する形で、モノクローム的な表現っていうのはどの時代にもありますが、この時代また顕著になってきていますね。渡辺さんのCGの写真作品は、非常に(※)ネオテニー的で、しかも(※)アルビノっぽかったりする。(※)さわひらきさんも、モノクロのビデオ作品が多く、小さな飛行機を飛ばすのが特徴的ですが、そこにも落ちることの不安を含めての浮遊感が表れていると思います。そういう浮遊感や、不安による怖さ、地に足が着いていない感じ。全体ではないですが、ある種の敏感なカナリヤ達の特性かなって思いますね。現代のある部分を象徴していると思います。
LOAPS:最後にLOAPSユーザー含め、若手アーティストに一言お願いします。
ART iT読め!!立ち読み厳禁(笑)。
注)GEISAI:村上隆が主催するアートの祭典。
注)ドストエフスキー:フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー(1821-1881)19世紀後半のロシア文学を代表する文豪。
注)カート・ヴォネガット:(1922〜)現代のアメリカ文学を代表する小説家の一人。
注)ポール・チャン:現代美術を代表するアーティスト。
注)渡辺豪:(1975〜)現代美術作家。
注)長谷川祐子:国際的に活躍するキュレーター。
注)ネオテニー:幼形成熟。
注)さわひらき:(1977〜)イギリス在住の現代美術作家。
注)アルビノ:遺伝子情報の欠損により、先天的にメラニン色素が欠乏する遺伝子疾患。
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| 長谷川祐子(キュレーター) |
| 篠山紀信x月船さらら「FREE」 |
| 未来美術家 遠藤一郎 |
| 白井良邦氏(Casa BRUTUS副編集長) |
| デザイン・マイアミ/バーセル インタビュー (2/2) |
