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ヒロ杉山の ポートレイト対談 Part1(1/2) 
ゲスト:  宮津大輔さん (アートコレクター) 



ヒロ杉山氏(左) 宮津大輔氏(右)


宮津:この間のART @ AGNES2009での映像作品は、僕が今まで見てきたエンライトメントの作品の中で一番良かったし、ペインティングを含めた部屋全体のインスタレーションとしても良いと思いました。


ヒロ:ありがとうございます。あの映像作品は最初、NYのダイチプロジェクトで発表した作品なんですよ。

宮津:アメリカでの反応はどうでしたか?

ヒロ:その時は平面とインスタレーションも出したのですが、なかなか、よかったですよ。一部屋エンライトメント用に用意してくれたので、壁紙を全部変えて、平面作品を飾って、モニターを壁に埋め込んで映像作品を流したんですよ。

ヒロ:宮津さんは、いつぐらいからアートを買うようになったのでしょうか?

宮津:94年ぐらいから現代美術を買う様になったんですけど、90年代中盤というのは、白石さんや小柳さんといった、今やビックギャラリーと呼ばれるようなギャラリーがオープンし、、東京でも、美術館以外の場所で、購入することを含め、現在進行形の現代美術を見る機会が本格的に出来たばかりの頃でした。

ヒロ:そうですね。その前は銀座の貸しギャラリーしかなかったんですよね。それから小山さんとか、タカさんが出て来て全く状況がよくなったんですね。

宮津:そうそう、最初は奈良さんのドローイングなんて1万円しないぐらいでした。それが、今じゃ数千から数万ドルでも手に入らない時代ですからね。あの頃は、アーティストにとっては、何枚売れても腹の足しにならないような時代でしたものね。すごく面白い事をやっていても、市場が成熟していないことで、タイミングを逃したという例は無数にあったと思うし、画廊も10万円ぐらいの家賃を払うのに苦労しているような状況だったから、日本人アーティストの作品をきちんとした形で海外に紹介したり、大型作品の制作費をサポートをしたりというバックアップの体制も整っていなかったと思います。

ヒロ:だから僕の周りにも絵を描いている人が多かったのですけど、凄くいい作品なのだけど、グラフィックの仕事にはならないようなカテゴリーの人達が多かったんですけど、そういった人達は今の様にギャラリーもなかった事から、いき場所がなかったんですよ。受入れてくれる器が何処にもなかったし、かといって海外に行くには決心がつかないし、お金も必要だし

宮津:そうですね。本当にここ数年ですよね。海外のキュレーターとか美術関係者が日本人アーティストをピックアップしていくようになったのは。「見つけてもらう」という言い方は従属的で好きではないけど、あの頃は欧米の人たちが目にする機会が、ほとんどないという時代でしたからね。

ヒロ:日本人というだけで無視されていたでしょうし、今みたいにわざわざ日本まで見に来るなんてことはあり得なかったですけど、やはり、奈良さんや村上さんの功績というのは本当に大きかったですね。

宮津:浮世絵が日本独特の美術であったように、村上さんがスーパーフラットでやったような、欧米と違うコンテクストがあって面白いアーティストがいるかもしれないという、日本独自の面白さを海外でも認識されるようになったんですよね。




ヒロ:僕が海外に出たきっかけというのが、※スーパーフラット展だったんです。そのロサンゼルス展のオープニングが終わってすぐにジェフリー・ダイチから直接電話があって、「数年ぶりに感激した!NYでやってみる気はあるか?」といわれたんです。過去にいろいろなアーティスト達がいたのでしょうけど、実は海外でもそういった面白い活動をしているアーティストを受け入れるだけの器があったのでしょうけど、そういった海外と連動出来るようなタイミングと機会がなかったというのが本当にところだったんじゃないでしょうか。

宮津:ヒロさんを始め、五木田智央さんや、大御所では田名網敬一さんとか、そういった広告やデザインの世界で活躍していたアーティスト達がまたファインアートの世界に戻ってきてくれたというのは嬉しいですよね。

ヒロ:やっぱりみんな元々はアーティストとして作品を作っていく事を考えていた人達でしょうし、同じ様な作品でも海外ではアートとして認知されていてギャラリーで取り扱われている現状を考えれば、本来の場所に戻ってきたという感じがありますよね。
僕なんかも海外だとイラストレーションと呼ばれずにファインアートとして取り扱われているものが、なんで日本ではファインアートとして認知してくれる土壌がないのかということにずっとストレスを感じていながら、仕事をしていたんですね。僕の周りには五木田君とかも含めて、そういう感じでストレスを抱えている作家が沢山いました。
それが、だんだんと日本にもそういう作品を認めてくれる土壌が出来てきただけでなく、実際に買ってくれるコレクターの方が出てきたのは非常に大きな事だと思います。

宮津:90年代中盤から、つい最近までアートを買うと云う行為がなにか不謹慎とは云わないまでも、あまり歓迎されていない風潮があったような気がしますね。コレクターの立場からも、胸を張って好きな作品を買いやすい時代になったと思います。




ヒロ:宮津さんの初めて購入された作品っておぼえてらっしゃいます?

宮津:もちろんおぼえていますよ。草間さんのドローイングをフジテレビギャラリーで買いました。日本や中国の伝統的な美術が好きで東京国立博物館などによく連れて行ってくれた祖母の影響が大きくて、子供の頃から美術が大好きでした。そのうち自分でも展覧会に行くようになったんですけれど、小学生の頃は熱心に日本画なんかを見ていたんですよ。
実際、絵は得意で、画家になるのが夢だったんですけれど、小学生の時に、上村松園展に、楊貴妃の絵が出品されていたんですよ。上半身が裸で侍女に髪をとかしてもらっている絵なのですけれど、裸の乳房の上に薄い絹がかかっていて、風で簾みたいなのがたなびいていて、簾越しの竹林が描かれているのですが、これがとんでもないテクニックなんですよ。それを見た瞬間に、今後私がどんなに修行しても無理だと悟ったんです。「こりゃ画家は駄目だなぁ」と幼心にも痛感しました。ですから、小学校4年生のクラス文集「将来の夢」には「画家になって文化勲章をとりたい」なんて書いていたんですけど、卒業するときの卒業文集には「画商になって(当時好きだった)前田青邨のような画家と仕事がしたい」というように夢が変わってしまったんです。
その後、高校生になってウォーホルに出会いました。それまで、日本画やオールドマスターの作品ばかりを見ていたので、自分自身で創作した美しいものが”是”であると考えていたんですが、アンディー・ウォーホルの創作方法は、全てを自分で描いているわけではなく、写真の転写プリントですよね。また、”交通事故”や”電気椅子”をモチーフにした作品を見て驚いたのは、”花鳥風月”等自分が認識していた従来の”美”と比べて、全く別次元のものが描かれているわけです。そういった部分に混乱して、ある種の科学反応のようなものがおこってしまいました。そして、今まで自分が見てきたものとは全く異なるけれど、更になぜだかわからないけれど、すごく「カッコイイ!」と感じたんです。今まで自分の見てきたものは一体何だったんだろうか?今だったら、インターネットですぐに調べられる時代なんですけれど、現代美術自体がまだかなりマイナーな時代でしたから、その場で自分が納得する解答を得ることは出来ませんでした。但し、その頃から「美術とは何か?」という事を無意識のうちに心の問題として考え始めていたんだと思います。

それから徐々に現代美術に対する関心が高まってきて、大学生の時、草間さんの作品に出会ったんです。白いネットのペインティング作品で、そのペインティングの前に立った時、本当に吸い込まれてしまう様な感覚を感じたんです。中学生の時に見た「2001年宇宙の旅」で光速を越える宇宙船の中から見た光の宇宙と似た感じです。人間の手で創るもの1枚で、宇宙を感じる事が出来る。本当にびっくりして草間彌生という名前が深く心に残りました。

その後、会社に入って30歳ぐらいになった時に、草間彌生作品で、自分にも買えるものがないかと思う様になりました。でも当時は本当に情報の少ない時代でしたから、草間彌生を所蔵している七つの美術館の学芸課に直接電話して「草間彌生を売っている画廊を教えて欲しい」と尋ねたところ、そのうち、2館だけが教えてくれたわけです。そうしてフジテレビギャラリーに電話したんですよ。

ギャラリーに事情を説明して、自分にも買える草間さんの作品があるか聞いたところ、数十万円のドローイングもあるという事で、生まれて初めて作品を買うつもり画廊に行ったんです。
そこで、何点か作品を出してもらった時に、53年の白い紙に墨だけのドットの作品に出会いました。それぞれのドットには濃淡があり、まるでうごめいているようで、草間さんならではの宇宙に通じる魅力を感じたんですね。
とにかく、憧れの草間彌生作品が小品とはいえ、手の届くところまできていました。40〜50万だったと思うのですが、正直自分の給料じゃちょっと無理だと思ったのですが、夏冬ボーナス2回払いでもいいとの申し出に思い切って買いました。

ヒロ:初めて作品を買うにはずいぶん冒険されましたね。



ポートレイト制作の為に撮影をするヒロ杉山氏(右)と被写体の宮津氏

宮津:そこからコレクションが始まったのですが、作品を買い始めた頃はとにかく、草間さん一筋で、他にどんなアーティストがいるのかも、誰も知らなかったんですよ(笑)。
その後フジテレビギャラリーから大田さんが独立して草間さんを扱うようになったのですが、当時「ぴあ」だったか情報誌にオオタファインアーツ「草間彌生展」というのが載っていたんですが、当時は「オオタファインアーツ」なんて聞いた事がなくて(笑)。しかもいつ電話しても留守電だったんですよ。今だったら、素敵な女性アシスタントの方がいるのですが、当時はいつも大田さん自身の声で「オオタファインアーツです。只今外出しております。」なんてテープが流れるんで、アート業界の事は何も知らなかったですし、本当にここは大丈夫なのかなぁ。ってすごく不安だったんですよね。ようやく電話がつながったのが、展覧会の前日で、「よかったら散らかってるけれど、今から見に来てもいいですよ。」と云われたのでさっそく恵比寿の古いビルにあるギャラリーを訪ねました。

外観は相当年季が入っていましたが、中に入ってみると、60年代、70年代の草間さんのすごい作品ばかりがスペースいっぱいに展示してあったんですよ。中でも52年の顕微鏡で植物の葉脈をみるようなネット状のドローイングが素晴らしくて、大田さんに「是非譲って下さい」と云ったら、「草間さんに聞いてみないと分からない」というわけです。「じゃぁ草間さんに聞いて下さい」と、財布の中の2万円を内金だと云って、嫌がる大田さんに強引に押しつけて、無理矢理買ったんです(笑)。
結局、草間さんからもOKが出て、だいたい100万円しないぐらいで、めでたく買うことが出来ました。当時、いや今でも自分にとって、結構な価格の買い物でした。

ヒロ:それって何歳ぐらいの時ですか?


宮津:たぶん31歳ぐらいだったと思います。それから2年後の96年にオオタファインアーツで「草間彌生の絵画」展があって、65年の160センチぐらいの大きいネットのペインティングが出品されていました。今だったら信じられませんが、当時は誰も買わないわけですよ。それで、大田さんに買わないか?と云われたのですが、価格は確か500万円ぐらい。当たり前ですが、当時の私の年収以上だったわけです。でもどうしても欲しい、絶対に欲しいと思ったんです。それで、定期預金を解約したり、持っているお金を全部かき集めて、全ての物をお金に換え、分割払いにしてもらったのですが、残念ながら全く追いつかなかったんです。それで、恥ずかしかったのですが、最後の手段で母親とか祖母にお金を貸してくれと頼んだのですが、そんな訳の分からないものに大金を使うなんて、どうかしていると云われ、けんもほろろでした。本当におかしくなったのではと、取り合ってくれなかったんですよ(笑)。

車を買うとか、家を買うとか、結婚するとかいうのなら多少なりとも、家族もお金を貸してくれたのでしょうけれど、その時は本当に何を言っているんだこの馬鹿は!という状態だったんです。
アートに理解のあった祖母は、作品は個人が買うものではなく、公共の財産であってみんなで楽しむものという考えでした。祖母からは美術館が購入・収蔵していけばいいものなんだと云われ、もちろんそれも一理あるのですが、そんなの全く耳に入らない状態でした。女房にも「あんたおかしいんじゃないの、我慢する事も憶えなさい」と云われる始末だったんです。そんなある日、雑誌を読みながらそのまま寝てしまったんです。

私はここでアートの神様に出会ったんですよ(笑)。



注釈
●スーパーフラット展
村上隆キュレーションによる展覧会。2001年にアメリカ各地の美術館で開催され世界的な評価を受けた展覧会。

●白石さん
ギャラリーSCAI THE BATHHOUSE代表、白石正美氏。

●上村松園(うえむら しょうえん)、女流日本画家。明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(松園のことば)を念願として女性を描き続けた。

●前田青邨
歴史画を得意とし、大和絵の伝統を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した日本画家。





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